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職場の職員の方の手引きを受けて、最近引っ越してきたばかりのここいらのお祭りに昨日丸一日参加した。
朝8:30に地元の神社に集合、そこから夜の23:00程まで、こじんまりとだが中々に熱い田舎のお祭りは続いた。


普段全く見慣れない顔の男が山車の後ろから1人でウロウロ付いて来て、デジカメ片手にいきなりパチパチ撮りまくっているのを見て、O津(地名)の方達はさぞかし怪しみ訝ったのだろうが、朝一番のお祭り開始当初からしばしば話し掛けられ、ジュースやビールを何度も振舞われた。


俺は見た目と大違いで、お酒も煙草も全くダメな体質でビールは丁重に遠慮申し上げたが、でも初対面でそう言う温かい歓迎を受ける事は素直にとても嬉しい事だ。

お祭り役員の方々が入れ替わり立ち代りに全くの新参者のこの俺に話し掛けて来て下さり、ここいらO津のお祭りの歴史から最近の住まい環境、その他あらゆる四方山話を朝から晩までお聞かせ頂いた。


俺は元々は同じ県内の政令指定都市であるH市出身で、H市のお祭りのH祭りは全国的にそれなりに有名だ。
俺自身、長男で初子と言う事で凧を揚げてもらい、夜の練り隊に練り巻かれ祝福されて、当時1歳の俺は大口を開けて大泣きしていたらしい。

子供の頃からお祭りと言えば俺はH祭りしか知らないのだが、東京都出身の妻はテレビ中継も為されるあの浅草の三社祭(さんじゃまつり)に子供の頃から参加していたらしい。

夫婦のお祭り体験を合算してお話させて頂ければ、今回俺は生まれて初めて、本当の田舎のお祭りと言うものを目の当たりに出来た。

それは三社祭ともH祭りともかなり大分違う、田舎の長閑で鄙びた地域に特有の、確かに驚くほどに小規模だが、地域住民同士が親密に交わり合う良き風景を目の当たりに出来た。


山車(屋台)と言えば、俺はH祭りの屋台しか知らず、それは4輪でお囃子隊(女子児童が専門担当)全員が搭乗可能な結構大きな物だったが、O津の屋台(山車)は2輪でかなり小さい印象を受けた。
しかしこの小振りなO津の屋台も、製造着手は実に今から40年程も前で、当時はここいらは皆農家ばかりだったが、政府の減反政策により休耕田が発生し、それらを売却したりして資金を皆で出し合い、このお祭りの起点の八幡神社周辺から木材を調達し、この屋台が出来上がったのだと。
屋台の前進を前方に見ながら、長老さんは新参者の俺とゆっくり話しながら、「でもこうして今も若い衆らがその当時のわしらの精神を受け継いでくれてるでねぇ。」と目を細めておられた。


O津の屋台は小さいが故の小回りが利くらしく、「練ってぇ!練ってぇ!」の掛け声に合わせて垂直方向の体軸に対してツイストさせながら前進するのにも驚かされた。
こんな事してて屋上の人間が振り落とされたり、屋台内部に搭乗する人間が外に放り出されたりしないかと見ているこっちもハラハラさせられた。


俺が最初に印象的だったのは、屋台屋上に設置された茶娘の像だった。
茶娘が茶摘の格好スタイルで人形になって設置されていた。

後での長老さんのお話に拠れば、昔は隣町からレンタルしていたが1回のレンタル料金は15~20万円もした為、途中で何とかO津の住民達で自前で人形をこしらえたらしい。
それまでは将棋の王将を象った像やらを掲げていたらしい。

入れ替わり立ち代りで新参者の俺に御挨拶して下さった長老さん達は、また同時にうちら夫婦でのO津への引越しを歓迎する旨の発言をして下さった。

俺は新参者で部外者の分際で貰ってばかりでは失礼に当たると、気持ちばかりの寄付を申し上げたら、イキの良さそうなイカつい金髪の若者が「まぁどうぞドォゾ!一杯やってって下さいよ!」。

次に会計係様が現れて、「この度はどうも有難う御座いました。付きましてはお名前を頂けますか?」
俺は恥ずかしかったが、仕方無しに名前を名乗った。
そしたら寄付の旨を告知する張り紙が、俺の実名と共に大きく神社の側壁に張り出された。

そのせいか、見知らぬ若者から「Iさんでしょ?是非O津に奥様といらして下さい。」
いきなり名前で呼ばれて少々面食らってしまったが、こう言うのは俺は好きな性質だ。

俺は人情味に弱いのかな。
たった1日で、年一回の地域のお祭りに帯同しただけで、俺はこのO津の方達を、好きになってしまった。

お祭りはKINTA様も仰る通り、古今東西、世界普遍にやはり神事なのだろう。

これが欧州:ヨーロッパのO津と同程度の田舎、例えば聖母マリア様が御出現されたと言うボスニアのメジュゴリエやポルトガルのファティマ、また南フランスのルルドなど、それらの聖母マリア記念祭を見れば、このO津のお祭りとかなりの相似形を呈している事に気付く。

屋台や山車で地域を練り歩き、神の祝福に地域住民皆で共に与ろうとするのも全く同じ。
若者が踊りを披露し、子供が賛美歌や民謡を唄い、中高年がお祭り服に身を包みお酒を飲み語らうのも全く同じである。
そのお酒の中身が日本酒→ワイン、シャンパン、おつまみ→ピッツァ、プレッツェルにそのまま置き換わっただけだ。
屋台の上に掲げられた茶娘像→聖母マリア像、その像の周囲に飾られたお茶の葉→棕櫚の葉に、それぞれやはり置き換えられる。

実際昨夜のO津の祭りでも有った様に、酒が入ってヒ-トアップした日本の祭りの若者達が屋台の上から日本酒やビールをぶっ掛けブチ撒ける→若く威勢の良いイタ公やフランス野郎達が山車や屋台の上から、全くの偶然を装って心密かに普段から意識している女の子に向かって赤ワインやスパークリングワインをぶっ掛けシャワーかまして彼女らがキャアキャア言って逃げ回るのを見て面白がる。


つまり、お祭りと言うものはやはりその国その地域で信仰される神様に直接に因んでおり、その構図も極めて相似し酷似していると言えるだろう。


話は少し変わるが、ある人懐っこい長老さんの話が面白かった(笑)
「あれ?オタク、ここいらの誰かのお婿さん?見ない顔だねぇ。え?H市出身?わしも昔若い頃に6年間位H市に住んでたんだよ。あのT島町に金馬車(きんばしゃ)って名前のストリップ劇場が有っただろう。わしは若い頃に良く通ってたよ(笑)。」
「は、ハァ・・・!?T島町は僕の故郷の直ぐ隣町ですが、今はそんなもの存在しないと思いますよぉ!(2人で爆笑)」

「何れにせよ、アンタが夫婦でO津に来てくれるのならわしらは皆歓迎するよ。そしたらアンタら夫婦もわしらO津住民と家族身内同然だよ。またO津に来なさいね。」


田舎には田舎特有の良さが確かに有る。
人間関係が非常に小さくて狭い反面、それがプラスに作用すれば非常にフレンドリーで親密な人間関係が近隣住民と構築出来るのだろう。

だが、その田舎特有の狭小な人間関係が残念な事にマイナスに作用してしまい、逆に苦になってしまっている外来のお嫁さんやお婿さんは、このO津にも潜在しているのかも知れない。
一見笑顔でお祭りに参加し、お洒落に法被を着てキメて屋台や山車の上で掛け声を上げる参加者の中にも、そうした苦悩を人知れず抱えているのかも知れない。

だがそうして内心に不快な思いや嫌な気分を引き摺っている祭り参加者の心の内も、きっとそのお祭り対象の神様は御存知で居て下さり、その苦悩もやがては晴れて心の内が晴天となれる様に、目に見えない神様のお力で以って良き様に取り計らって下さっておられるのだろう。



昨夜のお祭りを、今こうして振り返って見てそんな気がした。



追伸:昨夜の楽しいお祭りの時間と同じ時刻に、大阪の秋祭りで悲しいニュースが有りましたね。
お祭りの際には気が緩みますので、事故には十分に気を付けましょう。
↓↓

10日午後5時20分ごろ、大阪府泉大津市春日町の市道で、だんじりをぶつけ合う秋祭りの最中に、同市の男性会社員(28)がだんじりの間に頭部を挟まれ、搬送先の病院で死亡した。