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妻と親父とオフクロと俺の4人で、エクシブ蓼科に1泊2日の滞在をした。
ロビーのピアノも上質な質感をたたえていた様に感じたのだが、蓋を開けて見て確かめたらYAMAHA製であった。

蓼科高原は真夏だと言うのに涼しい風が程好く吹き抜ける素晴らしい土地柄であった。

子供連れの家族が大勢いらしていた。

たまたま、「ギャラリー明治」から画商さんがいらしておられ、俺は生まれて初めて、絵画を購入した。
大まけにまけてもらって〇万〇千円の、小振りなパリの街角の風景画だ。
桑山茂さんと言う画家の絵だ。
オフクロはフランス人画家の幽玄な花の絵を、その場でどうしても気に入ってしまい、遂に購入。

こうした高級リゾート地は、滞在する者に至福の時間を与えてくれるものだ。

だが、俺自身は正直、こうした高級なリゾート地は、余り肌合いが馴染まないと言うか、そんなにしっくり来ない。
livedoorのブログが製本化された中で、「日本ボロ宿紀行」なるものが有る。
俺は実際に読んだ事は無いが、内容は題名の通り。

俺にはこうした宿の方がしっくり来る、気がする。

あれだけの家族連れでの大混雑であったのに、各部屋に入ると驚くほど静かで無音。
聞こえて来るのは、窓の外からのヒグラシの声だけ。

夜中には、野生の鹿が出没し、妻は運転席から2匹の野生の鹿に遭遇し、眼が合った。


館内の大浴場は一応温泉になっている。
露天風呂は、森の中の大きな岩風呂という感じで、空の雲が直ぐそこに近く、形がクッキリ。

素晴らしい時間であった。

こうして妻を含めて、彼女にとっては義理の家族の俺の両親が、こうしてとても仲良く和気藹々と行楽を楽しめる事自体がとても恵まれていて幸せで幸福な事なのだろう。

生憎、部屋の引き出しには聖書は不在であったが、俺は心から神様に感謝せずには居られなかった。

また同時に、こうした奢侈や贅沢にはもう半ば飽きて来た俺としては、こうした経験や体験が、普段は滅多に手が届かないと言った人々に広く行き渡る様に心から祈らずには居られなかった。


人間の欲望や贅沢には切りが無いとは良く言われる事だ。

贅沢や奢侈は幾ら追求しても、どうやら満たされる事は無いらしい。



ならばこうしたものは程ほどに程好く楽しんで、丁度良い加減にしておく位で丁度良いのかも知れない。

エクシブ蓼科、とても良い場所だった。





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