宇宙人ぶすおの真実の記録

穏和な日常生活の風景。 幸福。 幸せ。 心の安定。 精神の充足。 心の平安。 愛情。 愛と調和。

タグ:理想の夫婦

ブログネタ
理想の夫婦って、どんなイメージ? に参加中!
tc2_search_naver_jpCAX12QN3







今日は良い夫婦の日、だそうな。

今日は休日なので、いつもの様に妻と僕は地元の近場で温泉施設に。
磐田の湯は、普段は滅茶苦茶お得なプランをしてくれている事が判明した。

こうして夫婦で仲良く居られる事自体が、神様からの大いなる恵だろう。
それはそのまま、本ブログの主題であり主要テーマだ。

人生の本当の幸福。

66ae0558













人生万事塞翁が馬だが、それでもやはり人は幸福を、幸せを求め、希求する。
7a9f5e39-s






人は幸せを夢見て、幸せになる事を確信し、幸福になる事を二人で約束して、神の前で永遠の愛を誓い、結婚する。
7e05c1fd











そして、実に離婚率は現在30%以上に昇るのだ・・・。
現在の日本国の実情から行けば、石を投げれば仮面夫婦にコチンとぶち当たり、仮面夫婦の鉄仮面ブタマンコな、ジョジョの奇妙な冒険の基軸事象であった石仮面よりも気味悪くタチの悪い無間地獄の永久不幸への入口であったと、後で思い知る事になるのだ。

つまり・・・。
今の日本国で結婚してみて実際に本当に幸福になれる確率と言うのは、実は30%にも満たないと言う事になる・・・。

この絶望的数字たるや・・・。

結婚は、最早勝ち目の薄いギャンブルではないか・・・!!??

結婚すれば、不幸になる確率の方が大きいのである!!!!
6a5f771c





そして、今日も脳天パーのパッパラパー達や頭の悪い浮付いた軽佻浮薄なる心の者共が、聖書もキリスト教理も全く知らずに教会で結婚式を挙げるのだ。

そう。
彼女や彼等の心の中は常に全員こうだ。
「僕は、私は、この結婚で絶対に幸福になれる!離婚になって不幸になるのは他の馬鹿ップル共だけだ!!そうに決まってる!!!だって私達の愛は永遠なのだから!!!!彼は私の事だけをずっと見つめ続けて永遠に愛してくれているのだから!!!!!間違いないわぁ~~~~!!!!」

そして、やがては間も無く、いつの間にか人生の壁に激突ドンぶち当たり、あれほど嫌がっていた不幸のドン底に大凶転落し、離婚ズッコンバッコンのセックスすらもレスレスせっくすれす慰謝料ぼとぼと絶望不幸の幕開けだ。
5b36330a














祈りなさい。自分の未来の幸福を。
03ac45ec










神の前に跪いて祈りなさい。自身の結婚が、どうか不幸な結末になりません様に。

どうせ破綻してダメでボコチンで破滅不幸な結婚生活に高確率でなると分かっているのなら、神様でも何でも縋ってみたら良いではないか。

理想の夫婦のイメージ。
それは、実はただの夢物語に過ぎないもので、現実には実在しないものだろう。

だが、私達夫婦は、こうして今日も幸福で幸せなのだと確信に近い形で感得しているのだ。
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

ブログネタ
「理想の伴侶(夫・妻)」ってどんな人? に参加中!
tc1_search_naver_jp
tc3_search_naver_jptc4_search_naver_jp
main1


livedoorさんからのお題が与えられた。
「理想の伴侶」ってどんな人?

相手にばかり多くを求めても、俺は仕方ないと思うのだ。

理想ばかり追求したところで、それはますます現実からは遠のくばかり。

最近のニュースでは婚活している女性はほぼ全員が「年収400万円以下の男性は最初からボツ!」と決め付けて掛かってるそうで、そして一方婚活中の男性の80%が年収400万円に満たないのだと。

つまり今の世の中の婚活は最初からアンマッチな、実に不毛で虚しい現象であると言わざるを得ない。


私にとって、現在の我が妻は理想に近い。
しっかり地に足の着いた金銭感覚。
贅沢はせずに我侭は言わない。
夫の俺に対して常日頃から感謝してくれている。
愚痴や不平や不満も口にする事は一切全く無い。
酒も煙草もギャンブルも一切全くやらない。

今、流行に乗って婚活中の日本人女性達は、相手の男性にばかり多くを求める前に、何故自分を磨こうとしないのだろう。


周囲を見渡していると、結婚に焦り、結婚を急ぎ、結婚に血眼になっている女性ほど、結婚からは遠のき、また従って理想の結婚からはますます無限遠の彼方に遠のき、よって女性の真の幸福と幸せからは絶望的なまでに遠のいている様に俺には見える。

彼女等を拝見していると、本当に憐れに可哀想になる。

内心は欲しくて欲しくて求めて止まないものが、欲すれば欲するほどますますそれは遠のき、結局得られない・・・。
これは当の本人にとっては、本当に不幸で不幸せな状況なのだろう。



結婚相手を求めて求めて合コンを狂った様に繰り返し、挙句は合コンで知り合った人間のクズな最低男性との結婚は取り敢えず出来たが、肝心のその夫婦生活の中身は喧嘩と摩擦とすれ違いと無理解と薄情と憎悪と殺意に満たされて、子供が居るので離婚したくても離婚も出来ずに、仮面夫婦で既に崩壊して破綻した結婚生活を取り繕い、そうする事で社会的な体面を保ちながら、夫に常に浮気されて全く愛されずに無視されて、本人も浮気や不倫が止まない完全に死神に魅入られて不幸一色に染まった惨めで憐れな主婦も実際に俺は知っている。



そうした人達と比較しても、確かにうち等夫婦は理想の夫婦と言えるのかも知れないが、同じ人間の男女のカップルで、どうしてこうも天地程に幸福度が違って来るのだろうか・・・??

それは一体、何が原因なのだろうか・・・??

では、幸せや幸福の源泉とは一体何なのだろうか・・・??
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

tc4_search_naver_jpCAUWBG2Ytc4_search_naver_jpCAWW5X9U
tc4_search_naver_jpCA35C29R
tc4_search_naver_jptc3_search_naver_jpCATL5K2Ftc3_search_naver_jpCAM5FFEBtc1_search_naver_jp








妻の姪っ子ちゃんと甥っ子ちゃんが、うちに泊まりに来ました。

9歳の姪っ子ちゃんと、5歳の甥っ子ちゃんです。
可愛いものです。この子達ほど可愛い子供はいないと思う。

僕の事を「〇っちゃん(妻)とこのオジサン」と常日頃から親しげに呼んでくれていて、僕が退勤して帰宅する時刻になるであろう時になると、窓から2人でしきりに外を見て、
「オジサンまだかなぁ、遅いなぁ。オジサンは黄色いバイクだよねぇ。左の道と右の道とどっちから来るの?」
妻が、「右の道路から帰って来る筈だよ。インターホンが鳴ったらオジサンにお帰りって言って上げてね。このボタンを押して解錠して上げるんだよ。」


僕が帰宅してみれば、2人はお気に入りのお菓子やら玩具やらベイブレードを大量に持ち込んで楽しそうに遊んでいました。

姪はインターネットをやりたいと言うので、このパソコンを使わせたらYOU TUBE動画でサザエさんの動画を熱心に見ておりました。

甥っ子ちゃんはベイブレードが大好きで、ポリカーボネート製の「スタジアム」まで持ち込んで、伯父の僕にもやり方を教えてくれました。

以前から彼等は〇っちゃん(妻)とオジサンの所に泊まりに行きたいと熱望してくれていた様で、楽しそうにテレビゲームに興じたり、インターネットに興じたり、玩具遊びに興じたりあっと言う間に楽しい夜は更けました。

夜は夜で、妻と僕のいつもの2人分の布団に彼等2人が加わり、計4人で妻が面白そうに話を聴かせてやって、4人で楽しく笑いながら狭苦しく寝たのでした。

朝は6:30に起きたのですが、彼等は早速朝っぱらからベイブレードやらパソコンで動画鑑賞やらしておりました。

僕は直ぐにそのまま出勤となりましたが、彼等は後で、「今夜もオジサンの所に泊まりたい!」と駄々を捏ねていたそうです。
そう言ってくれれば僕としても嬉しいものです。



この年末年始には子供達は両親のどちらかの実家やお在所に泊まりに出掛けたりする御家族も多い事でしょう。
それ自体が子供達にとってはとっても楽しく幸せな事であろうと思うのです。

少なくとも物質的には世界一豊かに恵まれたここ日本国だけに限って見てみても、帰る実家や甘える両親が存在しない不憫な子供達も中には居るでしょう。
でもそんな子達もやがて間も無くは成長して大人に成り、恋愛して夫婦になり我が子を設けて家庭を築き、そこで初めて家庭の幸福と言うものを噛み締めて実感する幸せな人生を手に入れるのでしょう。





妻から聞く所によると、義母は常日頃から、「M博君(オイラ)は本当に素晴らしい良く出来た夫であり旦那さんだよね!お酒も煙草もギャンブルも全くやらないし贅沢しないし、礼儀正しくて人には優しいしとっても好感持てる好青年だよね!」

俺としても義父母に褒められて決して悪い気はしないが、こんなに褒めて頂けるとやはり照れる。
だがこうしてお互いの義理の両親と夫婦で仲良くやれている事が、即ちとても幸福な事であると言えるのかも知れない。


そんな俺から見れば、義理の家族と険悪であったり疎遠であったりする事は、とても寂しくて悲しい事だと思えてしまう。


今年2010年は、俺にとってこれまでの人生で全く経験しなかった新しい出来事に多く見舞われた特に印象深い1年ではあったが、それでも俺という人間の心の奥底に流れる底流には、真実の意味での幸福や幸運を希求して止まぬ渇望した魂が常に存在していて、視座の中心軸をそこに置いて自分や周囲を今一度見詰め直した時に心底実感して確かなものとして感得するのは、こうした家庭や家族の平和こそが、人の人生の幸福や幸せそのものなのだと言う事である。


    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

このページのトップヘ