ドナルド・ジョン・トランプ前アメリカ合衆国大統領が、死亡する夢を見た。
映画:ゴジラ-1.0(マイナスワン)をテレビ地上波で鑑賞!

巷間の噂に違わず、いっやぁ~、とっても面白かった!
皆さんはもう御覧になりましたか?
先の「シン・ゴジラ」を早くも凌いじゃった、間違いなく歴代最大最強のゴジラさんだ。


噂でかなり大好評だったから、映画館に観に行こうかと思っていたら公開が終わってしまい、それならブルーレイディスクで鑑賞しようかと思っていたら、ほれこの通り、もう地上波で本編ノーカット版のオッ広げ公開と来たもんだ。



旧日本海軍が開発していた、大戦末期の幻の戦闘機「震電(しんでん)」も、主人公(俳優:神木隆之介さん)に託された最後の超重要な任務で、手に汗握る獅子奮迅の大活躍を見せる。
敷島が遂に意を決して整備兵達に見送られながら出撃し、ゴジラを挑発しつつ相模湾沖にまで誘き出す緊張と緊迫のシーンでは、本当に息を吞んだ。

しかし僕が最後の場面で気になったのは、やはりネット上でも噂されていた、主人公の事実上の奥様「典子(女優:浜辺美波さん)」さんの首筋の黒い痣だ。

このシーンで、カメラがアップになる。
このカットが意味するものとは・・・??

それについては山崎監督から後日こうして、はっきりと明言された。

そう、このシーンの直後にゴジラが吐いた熱線が引き起こした強烈な爆風により吹き飛ばされて、行方不明となってしまい最早死亡したかと思われていた(血は繋がってはいないが事実上の)母親の典子さんは、ゴジラ細胞の神秘の力により助命されて、生き永らえていたのだった・・・!!

そしてこの最後の感動的なシーンで、僕は少し違和感を覚えた。



既に死亡してしまったかと2~3歳の子供ながらに認識しつついた(事実上の)母親と遂に奇跡の対面をしたにも関わらず、劇中の明子ちゃん(女優:永谷咲笑さん)はその場で、どこか他人を見る様な冷めた目付きで母親に対してやや距離を保ちながら冷静に見詰めていたのだ。
(事実上の)夫の敷島は、無事に生きていた(事実上の)妻に抱き着き、感涙した。
それは大いに良いのだが、そもそもそうした場面で真っ先に母親に飛び付くべきのは、先ずは母親を恋しがって号泣していた(事実上の)娘の明子ちゃんだろう。
「ママぁあ~~~っ!!!」ってな具合にね。それが自然だ。

つまり最後の感動的な(事実上の)母親との再会と対面の場面で、明子ちゃんは子供特有の直感力で、母親の典子さんに対して、母親であって母親ではない、何か別の人間と言うか、何か得体の知れない未知の別の存在か何かを嗅ぎ取り、察知したのではないか・・・!?
本来は怪獣映画なのに、最後の場面でちょっと背筋が凍る様な、何と不気味で神秘的な謎かけと言うか、伏線を仕込むと言うか・・・。
山崎貴監督、素晴らしい。



だが本映画作品はこうして、受賞にも与かり、興行的にも大成功を収めた。
それにしても、かなりとっても楽しめたゴジラ映画であった。
最近のゴジラ映画は、「シン・ゴジラ」にしても、何から何まで本当に観ていてどれもとっても楽しくて面白い。
それにしてもゴジラは最新作品が公開される度毎に、その身体のサイズ・大きさ、そして一撃必殺の放射能火炎の火力やそのド派手な演出が、段違い位に更新されてパワーアップして行く様は、観ていて圧巻である。
バッハ作曲:マタイ受難曲・ヨハネ受難曲 ヘレヴェッヘ新盤の素晴らしさ!!

今から既に25年間も前に録音された、それぞれフィリップ・ヘレヴェッヘさんの2回目の録音となる、バッハ:マタイ・ヨハネ両受難曲(但し今回はヨハネ受難曲の録音を、1725年・第2稿に拠っている)。
録音当時から名盤、あるいは決定盤の呼び声が高く、巷間の評判が非常に高く良い、ヘレヴェッヘ新盤のマタイ・ヨハネ両受難曲。
僕は今回ようやくやっと購入し、聴きました。
再発売を繰り返されて、更にこうしてバッハの両受難曲のヘレヴェッヘ新盤の輸入盤が、デジパック仕様でセットで販売されるとは、何と幸運で恵まれている事か。
しかも何と僕の購入時には偶然にも、タワーレコード・オンラインにて半額セールの対象商品になっていて、これに更にポイントを使用して購入したら、最終総価格が何と驚きの1230円(送料、消費税等全て込み)ってんだから、とっても嬉しいったらありゃあしない。
【曲目】
・J.S.バッハ:ヨハネ受難曲(1725年版)
ソプラノ:シビッラ・ルーベンス、セシル・ケンペナー
アルト:アンドレアス・ショル
テノール:マーク・パドモア(エヴァンゲリスト&アリア)、マルコム・ヴェネット(下役)
バス:セバスティアン・ノアック(ピラト)、ミヒャエル・ヴォッレ(イエス)、ドミニク・ヴェルナー(ペテロ)
フィリップ・ヘレヴェッヘ(指揮)
コレギウム・ヴォカーレ(合唱&管弦楽)
録音:2001年4月
・J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV 244
ソプラノ:シビッラ・ルーベンス、エリザベス・ヘルマン、スーザン・ハミルトン
アルト:アンドレアス・ショル
テノール:イアン・ボストリッジ(エヴァンゲリスト)、ヴェルナー・ギューラ
バリトン:フリッツ・ヴァンフル(ユダ)
バス:フリッツ=ヨーゼフ・ゼーリッヒ(イエス)、ディートリヒ・ヘンシェル(ピラト)
フィリップ・ヘレヴェッヘ(指揮)
コレギウム・ヴォカーレ(合唱&管弦楽)
録音:1998年
聴いてみたら、衝撃だった。
ヘレヴェッヘさんの総ての音に対するトリートメントの、何と洗練の極みにある瑞々しさである事か。
全く以って、美の極致にある。
ある種の貴族的気品を醸し出す洗練の内に、力強く克明にキリストの悲劇を語り、描き切る指揮手腕と言ったら、この録音に対して、一体他の誰が対抗し得るだろうか。
このバッハ:マタイ受難曲 ヘレヴェッヘ新盤を聴いて、心を動かされない人間など、この地上世界に存在するのだろうか?
これは絶対に間違いなく、現在時点で録音で聴けるバッハ:マタイ受難曲では、史上最高の名演奏だろう。
また僕はバッハ:ヨハネ受難曲を、長らくリヒター盤(レコード・アカデミー賞受賞)のみで聴いて来たが、この第2稿を聴くと、まるで全く別の作品にも思えて来る。
何と耳に新鮮に響く事か。
僕が21歳の時に始まったバッハ:マタイ受難曲鑑賞の旅も、今はもう48歳にもなり、とうとうここまで至った。
僕の人生のマイルストーンである同曲鑑賞の旅は、僕がこの世を去るまで、これからもまだまだ続くのだ。

そして僕はバッハ:ロ短調ミサ曲 ヘレヴェッヘ新盤の購入は、人生の楽しみにまだ取って置いてあるのだ。
小倉美咲ちゃん行方不明・死亡事件から、既に丸5年間が経過した。

小倉美咲ちゃんが山梨県南都留郡道志村で行方不明になり、その後に彼女の白骨(実は本人の物ではない可能性は高い)が現地で発見されてから、既に丸5年間もの歳月が経過した。



お母さんの小倉とも子さんは、自身が開設した公式ホームページ上で、行方不明になった次女の小倉美咲ちゃんが、動物の食害に遭ったとほぼ断定したかの様な発言を、今もしている。
僕は問い合わせに対して直接にメール返信を頂いたが、山梨県警察本部は現在も「事件と事故の両面で捜査を継続中」なのである。
その前に僕は小倉美咲ちゃんの捜索に対して個人として協力する為に、小倉とも子さん開設の公式ホームページを通じて、捜索チラシを大量注文した。
その際には僕は当然ながら、自身の氏名・住所・電話番号・e-mailアドレスを全て正確に記入した。
ここ静岡県は、小倉美咲ちゃん行方不明事件の発生現場である山梨県の隣県である。
少しでも発見に繋がる可能性を高められるのであれば、僕は喜んで協力したつもりだった。
だがしかし、公式ホームページから捜索チラシを注文してから5年間近くが経つが、現在も全く捜索チラシはただの一枚もお母さんから郵送されては来ていない。



なのにお母さんの小倉とも子さんは、何故何の証拠も未だ無いのに、「私の大事で大切な宝物」の美咲ちゃんが動物の食害に遭ったと言えるのだろうか?
とても不自然な発言だ。

小倉美咲ちゃん捜索ボランティア団長の水越慶星さんは、現在も行方・消息共に不明だ。

突如行方不明になった女児童の捜索を統括する最高責任者自身が行方不明になるとは、何と皮肉な事か。
しかも更に不思議な事に、行方・消息共に不明になってしまった水越慶星さんを心配し、彼を捜索しようとする動きが、どこの誰にも全く見られないのだ。


そして小倉美咲ちゃん行方不明事件に際して、捜索ボランティア副団長を務めていらした、山脇”ザイオン”龍二さん。
山脇龍二さんは、野上幸雄さん(故人)が管理・執筆するブログのコメント欄にて、毎日の強烈な事件の真相追及に業を煮やして耐え兼ねたのか、遂にとうとう本事件の真相と思われる内容の一端を白状し始めた。
「(小倉)とも子の真相は、自分の子供(つまり小倉美咲ちゃんの事か?)を差し出したんだよ。」
「エリアさん(僕)、あんたも事件のカラクリをもう分かっているだろう。」
「歯医者さん(僕)、あんたの氏名も住所もこっちは分かっているから、いつでもな。」
「(野上幸雄さんのブログ住人達に対して)お前ら、水越(慶星)が何で行方不明になっているのか知ってるのか?お前らも水越みてえになりたいのか?」
「(小倉)とも子は開示請求して、気に入らない書き込みをした奴を特定して始末する。」
まさかお母さんの小倉とも子さんは、野上幸雄さんがブログにて幾度にも渡って指摘して来た様に、御自分のお子さん、つまり次女の小倉美咲ちゃんを、人身売買に差し出して売り飛ばしたと山脇龍二さんは言ったのだろうか?

するとスーパーボランティアの尾畠春夫さんが仰った、「小倉美咲ちゃんは生きている!」の言葉は未だに我々に希望を感じさせながらも、一方で別の意味を帯びて来る。



その後、アメリカ合衆国国務省は「日本社会の問題点」として、日本の外国人技能実習制度が外国人労働者を不当な低賃金で酷使する悪しき温床になっていると見事に鋭く看破し、また「日本社会においては人身売買が横行している」と公式見解として問題視した。
あの米国国務省が最大の同盟国であり友好国の日本国に対して直接にかつ公式に、まさかそんな事を指摘して来るとは、僕は心底驚嘆した。
そして僕は米国国務省の指摘を受けるまで、この平和で豊かな日本社会において、まさかそんな重大犯罪が横行しているとは露知らず、米国国務省が公式に指摘した驚愕の日本社会の問題点とは、実は小倉美咲ちゃん行方不明事件を指し示しているのかとも思えた。

そして山脇龍二さんが思わず漏らした「(小倉美咲ちゃん行方不明)事件のカラクリ」とは、つまり本事件の真相は、お母さんの小倉とも子さんが最初から主張している様な、次女・小倉美咲ちゃんの突如の突然に発生した行方不明事件ではなく、表には一切報道されていない真実と真相があると言う事なのか?

そう言えば主要テレビ各全局やマスコミは、何故か行方不明事件発生当日に炊事場にて、他のキャンプ参加者の手により撮影されたとされる、明らかに構図が不自然でおかしい炊事場の写真を、どうしてこうわざわざ切り取って、かえって写真全体の構図の不自然さが分からない様に報道しているのだろうか?
するとNHKを含めた主要テレビ各全局やマスコミの皆さんは、むしろ人身売買と真相を既に知っており、それを一般人の眼には触れられない様に積極的に隠蔽しているのだろうか?
だとしたら、テレビやマスコミも本事件の協力者だ。
野上幸雄さんのブログのコメント欄にて、山脇龍二さんが僕との直接対話の中で思わず漏らした「事件のカラクリ」とは、つまり本物の小倉美咲ちゃんは売り飛ばされてしまい、現在は日本国外の外国のどこかで生存しており、事件発生から3年間が経過した後に道志村現地にて発見され、警察のミトコンドリアDNA鑑定の結果「お母さんの小倉とも子さんの血縁と矛盾しない(警察発表)」女児童の白骨は、つまり小倉美咲ちゃん本人の骨などでは到底全く無く他人の物であり、かつ小倉とも子さんの血縁者の他の女児の物であったのだろうか・・・!!??
だとしたら、あの発見された白骨の女児童は、一体どこの誰だと言うのだろうか!?
そしてあの現地で白骨で発見された、小倉とも子さんと血縁のある女児童の死亡原因は、まさか殺害されたとでも言うのだろうか・・・!?



そしてお母さんの小倉とも子さんは現在、千葉県成田市の自宅兼として営んでいた動物のトリミング店「バディ小倉」を、もう予てからずっと休業している。
女流漫画家:たつき諒氏は、日時までの特定はしていない事に注意。

こちらは既に、50万部以上を売ったベストセラー本となっている。
実に素晴らしい。

しかし、この本で予言されているAD2025年7月に発生するとされる「日本列島を襲う、地球規模の大災難」に付いては、未だ知る人は少ない様だ。

事実、僕の職場の職員の方達に、この事を訊いてみても、誰も全く知らなかった。


知らぬが仏、と言う事もある。

しかし、既に購入して通読したこの僕を含めて、ここで大いに注意を要する事がある。
著者のたつき諒氏は、「日本列島を襲う地球規模の大災難」は、今から丁度10か月後のAD2025年7月に発生するとはっきり明記はしていても、それが発生する日にちと時刻までの指定は、一切全くしていない事だ。
それが何故か現在は勝手な憶測が独り歩きしてしまい、「日本列島を襲う地球規模の大災難」はAD2025/07/05 sat 04:18 AMに生起するとの誤情報が拡散してしまっているのだ。

何とあろう事か、月刊ムーの8月号の特集記事内においても、この誤情報がたつき諒氏が予言した発生日時として、堂々と掲載されてしまっている。
実はこれ以前に、月刊ムーにて、たつき諒氏に成り済ました悪質な偽者の人物に、当該のたつき諒氏御本人であると月刊ムー:編集部側が完全に騙されてしまった形で、「たつき諒氏御本人の独占インタビュー記事を特集!」してしまっていた黒歴史な過去が存在する事は、事実だ。
月刊ムーと言えど、細かい詳細な点では、時には誤りや間違いがある事には留意と注意をしたい。

しかし、既に購入して通読したこの僕を含めて、ここで大いに注意を要する事がある。
著者のたつき諒氏は、「日本列島を襲う地球規模の大災難」は、今から丁度10か月後のAD2025年7月に発生するとはっきり明記はしていても、それが発生する日にちと時刻までの指定は、一切全くしていない事だ。
それが何故か現在は勝手な憶測が独り歩きしてしまい、「日本列島を襲う地球規模の大災難」はAD2025/07/05 sat 04:18 AMに生起するとの誤情報が拡散してしまっているのだ。

何とあろう事か、月刊ムーの8月号の特集記事内においても、この誤情報がたつき諒氏が予言した発生日時として、堂々と掲載されてしまっている。
実はこれ以前に、月刊ムーにて、たつき諒氏に成り済ました悪質な偽者の人物に、当該のたつき諒氏御本人であると月刊ムー:編集部側が完全に騙されてしまった形で、「たつき諒氏御本人の独占インタビュー記事を特集!」してしまっていた黒歴史な過去が存在する事は、事実だ。
月刊ムーと言えど、細かい詳細な点では、時には誤りや間違いがある事には留意と注意をしたい。
絶対に来ない東南海トラフ連動型大地震です

先日の宮崎県での強震を受けて、ここ静岡県浜松市でも実しやかに噂されている、待ってましたの東南海トラフ連動型大地震の発生。

はい、結論から申しまして、そんなものは絶対に来ませんし発生しません。

自治体の浜松市は市民に対して注意喚起しており、既に浜松市内のそこかしこのスーパーや食料品店からは、防災用品や非常食が飛ぶ様に売れてしまい、売り切れが続出している様だ。

しかしそうして人々が来る来ると言っている内は、大地震と言うものは絶対に来ないし発生しないものなのだ。
僕もかつて目の当たりにした、阪神淡路大震災や東日本大震災を思い出して見ると良い。
事前には誰一人としてその発生を全く予想しておらず、全くのノーマークだったのだ。
この様に大地震と言うものは、人々が完全に忘れ去ってしまっている時のある日突然に、いきなり襲撃して来るものなのだ。
だから東南海トラフ連動型大地震も、やがて何れ何時の日かは、人々が完全に油断して忘れ去ってしまった頃に、人々が全く予想だにしていなかった、とある日突然に発生して大災害と大被害をもたらすのだ。
今からきっかり丁度1年間後の、AD2025年07月05日(土)04:18 には、絶対何も起こりません。

今、一部で話題になっている、「AD2025年07月05日(土) 04:18」に、日本国が大津波と大災難に見舞われると言う、漫画家:たつき諒さんの予言。
こちらのベストセラーになった著作が大本である。

僕も今から2年間程前に、イオンSC内の未来屋書店さんで山積みになっている時に、購入した。

何でも、東日本大震災の3倍もの高さを誇る超巨大津波が、日本国の太平洋岸を襲撃するのだと。
それを真面に捉えれば、高さ50m以上もの、文字通りの超巨大津波が日本国太平洋岸を襲撃すると言う事になる。
そんな事に本当になれば、勿論当然、日本国はわずかたった1日で壊滅すると言う事になる。
こちらのたつき諒さんの著作内で、見易い絵図にて、日本国を超巨大津波が襲撃する範囲が明確に図示されている。
これを真面に捉えれば、日本国の首都:東京都は壊滅し、ここ静岡県も壊滅する事になる。
そうすれば、日本国は壊滅し終焉を迎える事になるのだ。

しかし僕はここで、敢えて声を大にして断言する。
たつき諒さん御指定のAD2025年07月05日(土) 04:18 には、絶対に全く何も起こらないし、生起しない。
従って日本国は依然そのまま、物心両面で豊かな繁栄を享受し、安定して安泰である。
そう断言出来る根拠は、こうした日付指定の地震予言や巨大災厄の予言は、今までに的中して当たった試しなど、世界人類史上どこにも全く皆無だからである。



そしてスピリチュアル理論物理学者の保江邦夫先生は、こう仰ってます。
2025年7月5日 午前4時18分 フィリピン海沖に小惑星の破片が墜ちる。 (保江邦夫氏)
バッハ作曲:マタイ受難曲 アーノンクール新盤の素晴らしさ!!!

構成数 | 3枚
【曲目】
J.Sバッハ:マタイ受難曲 BWV.244
【演奏】
クリストフ・プレガルディエン(テノール/福音史家)
マティアス・ゲルネ(バス/イエス)
クリスティーネ・シェーファー(ソプラノ1)
ドロテア・レシュマン(ソプラノ2)
ベルナルダ・フィンク(アルト1)
エリーザベト・フォン・マグヌス(アルト2)
ミヒャエル・シャーデ(テノール1)
マルクス・シェーファー(テノール2/証人2)
ディートリヒ・ヘンシェル(バス1/ユダ、ペテロ、他)
オリヴァー・ヴィトマー(バス2)
アーノルト・シェーンベルク合唱団
ウィーン少年合唱団
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
ニコラウス・アーノンクール(指揮)
【録音】
2000年5月、ウィーン


巨匠ニコラウス・アーノンクールさんのバッハ:マタイ受難曲の、新盤である。
僕はつい先日に、ようやく入手した。
聴いてみて、心底驚いた。

僕が普段聴き慣れている、僕が最も愛好する楽曲の一つであるバッハ:マタイ受難曲が、僕の耳にこうも新鮮に響くとは、全く想像もしていなかった。
アーノンクールさんの攻撃的なまでに前向きに、新しい解釈を試みよう試みようとの意欲と気迫は、並々ならぬものがある。
決して奇をてらう事はなく、歴史と伝統に根ざした古楽演奏でありつつも、現代の新しい解釈の息を吹き込み、かつその結実を洗練の極みに到達させる事に成功したアーノンクールさん。
これがグラミー賞(アメリカ)を受賞し、かつディアパゾン賞(フランス)を受賞し、またかつグラモフォン・ベストレコーディング100(イギリス)に選出されたとは、とても納得出来る素晴らしい音源だ。
欧米の3か国に渡って受賞するとは、中々到底出来る事ではないだろう。
そしてこの欧米3か国にて受賞した事実にこうして触れている日本人は、実はこの僕のこのブログ記事が唯一なのだ。
なのに残念な事に不思議な事に、このアーノンクール新盤のここ日本での評価は、一部では余り高くはないのだ。
しかしX(旧Twitter)にて、バッハ:マタイ受難曲のベスト盤に、このアーノンクール新盤を挙げておられる方もいらした。
このアーノンクール新盤が、間違いなく21世紀の新時代のバッハ:マタイ受難曲の一つだろう。
僕は今まではマタイ受難曲はサー・ゲオルグ・ショルティ盤を第一に考えていたが、今はこのアーノンクール新盤が、僕の中でショルティ盤と並ぶ存在となった。
今それにしても、こうも録音年から20年間以上も経っていて再発売を重ねている音源を、更にタワーレコード・オンラインにて割引・セール期間中を狙って買うと、何と信じられない位の安価で購入出来る事か。
J.Sバッハ:マタイ受難曲 BWV.244
【演奏】
クリストフ・プレガルディエン(テノール/福音史家)
マティアス・ゲルネ(バス/イエス)
クリスティーネ・シェーファー(ソプラノ1)
ドロテア・レシュマン(ソプラノ2)
ベルナルダ・フィンク(アルト1)
エリーザベト・フォン・マグヌス(アルト2)
ミヒャエル・シャーデ(テノール1)
マルクス・シェーファー(テノール2/証人2)
ディートリヒ・ヘンシェル(バス1/ユダ、ペテロ、他)
オリヴァー・ヴィトマー(バス2)
アーノルト・シェーンベルク合唱団
ウィーン少年合唱団
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
ニコラウス・アーノンクール(指揮)
【録音】
2000年5月、ウィーン


巨匠ニコラウス・アーノンクールさんのバッハ:マタイ受難曲の、新盤である。
僕はつい先日に、ようやく入手した。
聴いてみて、心底驚いた。

僕が普段聴き慣れている、僕が最も愛好する楽曲の一つであるバッハ:マタイ受難曲が、僕の耳にこうも新鮮に響くとは、全く想像もしていなかった。
アーノンクールさんの攻撃的なまでに前向きに、新しい解釈を試みよう試みようとの意欲と気迫は、並々ならぬものがある。
決して奇をてらう事はなく、歴史と伝統に根ざした古楽演奏でありつつも、現代の新しい解釈の息を吹き込み、かつその結実を洗練の極みに到達させる事に成功したアーノンクールさん。
これがグラミー賞(アメリカ)を受賞し、かつディアパゾン賞(フランス)を受賞し、またかつグラモフォン・ベストレコーディング100(イギリス)に選出されたとは、とても納得出来る素晴らしい音源だ。
欧米の3か国に渡って受賞するとは、中々到底出来る事ではないだろう。
そしてこの欧米3か国にて受賞した事実にこうして触れている日本人は、実はこの僕のこのブログ記事が唯一なのだ。
なのに残念な事に不思議な事に、このアーノンクール新盤のここ日本での評価は、一部では余り高くはないのだ。
しかしX(旧Twitter)にて、バッハ:マタイ受難曲のベスト盤に、このアーノンクール新盤を挙げておられる方もいらした。
このアーノンクール新盤が、間違いなく21世紀の新時代のバッハ:マタイ受難曲の一つだろう。
僕は今まではマタイ受難曲はサー・ゲオルグ・ショルティ盤を第一に考えていたが、今はこのアーノンクール新盤が、僕の中でショルティ盤と並ぶ存在となった。
今それにしても、こうも録音年から20年間以上も経っていて再発売を重ねている音源を、更にタワーレコード・オンラインにて割引・セール期間中を狙って買うと、何と信じられない位の安価で購入出来る事か。
モンテヴェルディ・エディション(CD合計30枚)を購入した!!

俺は遂に、この巨匠 クライディオ・モンテヴェルディ大先生の全作品の録音を、ゲッツ入手獲得した。
繰り返すが、初期バロック音楽最大の巨匠であるクラウディオ・モンテヴェルディの、全作品である。
全作品を完全収録したとは、これだけでも音楽資料の価値は非常に高い。
気になるお値段は、CD合計30枚で8000円ほど。
ただしやはり全て同デザインの薄い紙ケースであり、文字通りの簡素な梱包のボックスセットに、簡素な解説書が付属するのみだ。
今回購入して見て面白かったのは、この記念すべきボックスセットの発売日は去年AD2023の12月だったにも関わらず、このボックスセットの中に、その時点では未発売であったはずの、AD2024の4月に新録音の新譜として新発売される予定だった「ミサ曲集と詩編歌集(CD2枚組)」が、既に収録されていた事だ。
他にも有名な、僕の今回の主な獲得狙いの一つだった「倫理的・宗教的な森(CD3枚組)」も、ほぼ新録音の新譜だ。

このボックスセットにおいて中軸を担うのが、この方達、指揮者:キリン・コーツフェルトさんと彼が率いるレ・ヌォーヴォ・ムジケ。
ホームページを見ると、どうやらオランダの演奏団体の様だが、個々の演奏者のレベルが非常に高い事が聴いて直ぐに判る。
どの音源もとても柔和かつ温和な音色とトリートメントで、洗練の極みにある。








つまり要は、今回のモンテヴェルディ作品フルコンプリートの完全ボックスセットは、以上のジャケット写真の、これまでに発売されて来たモンテヴェルディ作品を、全て集成したものだ。
彼の作品を代表する「マドリガーレ全集」や「歌劇(オペラ)3部作」、また「倫理的・宗教的な森」・「聖母マリアの夕べの祈り」の他にも、マイナーで普段は録音対象とはされていない小作品集も、今回は完全に録音・収録されている。
取り敢えず我が国を含めた全世界中の音楽大学の附属図書館は、このボックスセットを音楽資料として購入必須か。
わくわく期待大のメニューは、以下である。
構成数 | CD30枚
録音 | デジタル・ステレオ
【収録内容】
クラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643):
・マドリガーレ集(CD1~12)
・倫理的・宗教的な森(CD13~15)
・3声のカンツォネッテ(CD16)
・聖母マリアの夕べの祈り(CD17~18)
・小品集(CD19)
・ミサと詩篇(CD20~21)
・オルフェオ(CD22~23)
・ウリッセの帰還(CD24~26)
・ポッペアの戴冠(CD27~30)
【演奏】
レ・ヌオーヴェ・ムジケ(声楽&器楽アンサンブル)[CD1~15、19~21]
クライン・クーツフェルト(指揮、オルガン、チェンバロ)[CD1~15、19~21]
アルモニオーゾインカント(女声アンサンブル)[CD16]
フランコ・ラディッキア(指揮)[CD16]
アンサンブル・サン・フェリーチェ(声楽&器楽アンサンブル)[CD17~18]
ラ・ピファレスカ(管楽器&打楽器アンサンブル)[CD17~18]
フェデリコ・バルダッツィ(指揮)[CD17~18]
セルジオ・ヴァルトロ(指揮)[CD22~30]
、ほか
僕はこのGWの4連休も有効利用して、遂に全曲全作品を完聴し、聴き通した。
普段はバッハやモーツァルトを聴く事が多いこの僕が、まさか古楽のモンテヴェルディ作品に深く分け入り、心と精神・魂を完全に鷲掴みにされて魅了されてしまうとは、全く想像もしていなかった。
モンテヴェルディの音楽は、何と優美で艶やかで上品な作風で、優雅な気品と清廉さに満ち満ちた、実に素晴らしい事この上ない音楽だろうか。
僕の大好きな「聖母マリアの夕べの祈り」は、僕はこれまでにガーディナー新盤(レコード・アカデミー大賞⦅金賞⦆受賞)、ベルニウス盤、シュナイト盤を所有し愛聴して来たが、今回収録されているバルダッツィ盤は、演奏に打楽器が加わる事により、より祝祭的で、祈りの音楽としての敬虔さに加えてラテン的陽気さをも兼ね備えた元気な祭典イメージを、僕に強く示してくれた。当然ながら「聖母マリアの夕べの祈り(ヴェスプロ)」の鑑賞の度において、僕はこんな演奏は全く初めての体験だ。
演奏はどれも文句なく最高に素晴らしいの一言だが、僕は元々は歌劇(オペラ)「オルフェオ(これが世界最古の歌劇作品)」をこよなく愛するが、この悲哀の結末を迎えるオペラが、通説では最高傑作であるとの呼び声が高い「ポッペアの戴冠(モンテヴェルディ最晩年の作品)」に及ばないとはやはり僕には全く思えず、彼の歌劇の最高傑作作品はやはり「オルフェオ」であるとは、僕の現在の結論だ。
クラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643):
・マドリガーレ集(CD1~12)
・倫理的・宗教的な森(CD13~15)
・3声のカンツォネッテ(CD16)
・聖母マリアの夕べの祈り(CD17~18)
・小品集(CD19)
・ミサと詩篇(CD20~21)
・オルフェオ(CD22~23)
・ウリッセの帰還(CD24~26)
・ポッペアの戴冠(CD27~30)
【演奏】
レ・ヌオーヴェ・ムジケ(声楽&器楽アンサンブル)[CD1~15、19~21]
クライン・クーツフェルト(指揮、オルガン、チェンバロ)[CD1~15、19~21]
アルモニオーゾインカント(女声アンサンブル)[CD16]
フランコ・ラディッキア(指揮)[CD16]
アンサンブル・サン・フェリーチェ(声楽&器楽アンサンブル)[CD17~18]
ラ・ピファレスカ(管楽器&打楽器アンサンブル)[CD17~18]
フェデリコ・バルダッツィ(指揮)[CD17~18]
セルジオ・ヴァルトロ(指揮)[CD22~30]
、ほか
僕はこのGWの4連休も有効利用して、遂に全曲全作品を完聴し、聴き通した。
普段はバッハやモーツァルトを聴く事が多いこの僕が、まさか古楽のモンテヴェルディ作品に深く分け入り、心と精神・魂を完全に鷲掴みにされて魅了されてしまうとは、全く想像もしていなかった。
モンテヴェルディの音楽は、何と優美で艶やかで上品な作風で、優雅な気品と清廉さに満ち満ちた、実に素晴らしい事この上ない音楽だろうか。
僕の大好きな「聖母マリアの夕べの祈り」は、僕はこれまでにガーディナー新盤(レコード・アカデミー大賞⦅金賞⦆受賞)、ベルニウス盤、シュナイト盤を所有し愛聴して来たが、今回収録されているバルダッツィ盤は、演奏に打楽器が加わる事により、より祝祭的で、祈りの音楽としての敬虔さに加えてラテン的陽気さをも兼ね備えた元気な祭典イメージを、僕に強く示してくれた。当然ながら「聖母マリアの夕べの祈り(ヴェスプロ)」の鑑賞の度において、僕はこんな演奏は全く初めての体験だ。
演奏はどれも文句なく最高に素晴らしいの一言だが、僕は元々は歌劇(オペラ)「オルフェオ(これが世界最古の歌劇作品)」をこよなく愛するが、この悲哀の結末を迎えるオペラが、通説では最高傑作であるとの呼び声が高い「ポッペアの戴冠(モンテヴェルディ最晩年の作品)」に及ばないとはやはり僕には全く思えず、彼の歌劇の最高傑作作品はやはり「オルフェオ」であるとは、僕の現在の結論だ。