2011年02月
三穂希祐月さんの思い出
俺自身ちょっと驚いているのだが、この本ブログの検索キーワードトップが「三穂希祐月」となっている・・・。
アクセス解析で調べて見ると、このキーワードで彼女の現在の本拠地である岡山県から北海道や東京都、日本全国からこのキーワードで本ブログにアクセスが来ている。
中にはなんと、NHK内の端末かららしきアクセスも認められた。
三穂希祐月さん。
覚えていらっしゃる方はどの位居るのか分からないが、今から丁度20年程前にテレビに良く出ていらした霊能者の気さくで元気なオバチャンだ。
ビートたけしさんの「元気が出るテレビ」にも出演していらしたり、番組ゲストに対する霊視鑑定を趣旨としたレギュラー番組も存在していた。
ビートたけしさん御本人も、彼女と親交が有るらしい。
俺は個人的には、この人の沢山の著作の中の、「天界からの脅迫」と言う書籍が、今でも俺の人生観に多大な影響を与える程のインパクトが到底忘れ難い。
1991年11月の出版なので、実に今から20年も前の本なのだが、別に宗教臭くも抹香臭くもなく、とても読み易い語り口で、かつ素晴らしい人生教本となっていると思う。皆様にも是非ご一読をお薦めしたい。
当時この本が紹介された雑誌でも、評論家は好評を与えていた事を覚えている。
三穂希祐月さんは「三穂の家」と言う名前の宗教団体を主宰為さっておられたと記憶するが、現在は岡山県にて「三穂の郷」と言うプロジェクトにて活動をしていらっしゃる模様だ。
その三穂の郷での夏祭りの様子が上記写真。
俺は徳島県で大学生活を送ったのだが、当時住んでいたボロアパートにたまたまこの三穂希祐月さんの講演会が催される事を案内したチラシがポストに投函されており、貧乏学生の俺にも無理なく支払える料金だった事もあって俺は早速申し込んで出席してみた。
会場は徳島市内の大きなお寺に附属する広大で綺麗な施設だったが、驚いた事に超満員の大盛況で人だかりが出来ていた。
講演会の内容はとても面白かった。
徳島県に因む予言めいたものも仰られ、大層興味をそそる内容であった。
三穂希祐月さんは最後は出席者の人達を廻って参加者全員に祝福を与える様にされておられたが、俺も彼女と眼が合って、有名人と眼が合ってちょっぴり嬉しかったな。
僕はそんな思い出を、この頃思い出したのだ。
バレンタインデー2011戦績
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今年2011年のバレンタインデー当日は、たまたま僕は仕事がお休みの日であった。
だが僕の周囲の心有る女性達は、予めそれを見越してか、前以って素敵なチョコレートを僕に下さったのだ。
妻からは、帝国ホテルのチョコレート(上記写真)。
驚いた。
俺が見栄っ張りで、その前を通り過ぎた事が有るってだけで実際は建物の中に入った事さえも無いのに、夫の俺が帝国ホテルに憧れている事を見抜いてか、このチョコレートを夫の俺に用意してくれたのだ。
今、これを書きながら妻と食べているのだが、特に紅茶味のチョコレートがとても美味しい。
職場にては、いつも大変お世話になっているMさんから、上記写真の「神戸 Frantz」のスペシャルパッケージに包まれた特製チョコレートが贈られた。
頂いた当日夜はたまたま残業で晩御飯にあり付けなかった事も有ってか、秒殺で食べ尽くしてしまった。
後でネットで調べて当該商品を調べて見れば、「苺トリュフ」とかでホワイトチョコレートの中に、それはそれは綺麗な苺が存在していたのだ。
素晴らしいですね。
義母からも素敵なチョコレートが、妻を介して届けられた。
また妻の姪は俺の事を覚えてくれている様で、「これはオジサンに上げてね。」と、なんと手作りのチョコレート!!
小学校3年生の女の子からの、特別にお手製のチョコレートと言うのも、やはり本当に心温まるものだ。
チョコレートは身体に良いのだが、俺が思うには、こうした周囲の女性からの自分に対する気遣いが存在すると言う事そのものが、とても嬉しく幸せに、幸福に感じますよね。
バレンタインデーの起源は、俺は未だ詳しい正確な事は分からないのだが、どうやらキリスト教の事件が発端になっているらしい。
俺自身はキリスト教徒だが、クリスマスにせよ、バレンタインデーにせよ、本来は非キリスト教国である筈のここ日本国にては、もうすっかり定着した毎年の恒例行事である。
バレンタインデーには悲喜交々な面も有ろう。
バレンタインデーに関わる総ての人類に、主イエス様からの豊かな祝福とお恵みが有ります様に心よりお祈り申し上げます。
春の憂鬱
春:SPRING
これを今お読みの皆さんにとって、春はどんな季節でしょうか?
僕にとっては大好きで愛して止まない桜の樹が遂に開花し、それは「愛」、「幸福」、「平和」、「日本国」と言ったポジティブなキーワードばかりが連想される歓びと楽しみの季節と言う事になっている。
だが、つい昨日、職場で女性職員達の会話から漏れ聞こえたのは、「春は憂鬱な季節」と言う意見が有ったのだ。
聴けば「花粉症で全てが台無しになる」とか言ってた人も有った。
可哀想になぁ。
だが中には、「毎年春がどうにも気が晴れなくて、仕事で外回りで車で1人で走っていても、何だか悲しくなって来て泣きたくなる。桜の花も、確かに綺麗なんだけど、見てるととても悲しみを覚えて仕方ない。」
との意見を持った人も有った。
俺には正直、春と言う季節をネガティブに捉える方達の心情や気持ちや真意はかなり分かり兼ねる。
そこで、livedoorの検索エンジン(NAVER社提供)で「春 憂鬱」をキーワードに、統合検索と画像検索を掛けて見た。
その内の幾つかの写真が、上記。
そして、何方かのブログ記事にて興味深い記事が有った。
その記事に拠れば、月別の自殺者数が最も多いのは3月と4月の春の季節らしい。
何事に対してもそうだと個人主義者の俺は思うのだが、世のあらゆる物事や事象に対する感じ方など人それぞれだ。
そんなものどう感じて何を思うかなど、本来全く自由の筈である。
だが世の中には、また俺の趣味のクラシック音楽の世界では、病的なまでに感じ易い極めて繊細な感性を持った人達も実際存在するのだ。
そう言った人達の意見や主張にも、例え自分とは反対で相容れない様に見えても、僕は耳を傾けて行きたい。
2011年2月17日の記事だったので、つい3日前の記事だ。
↓↓↓
月ごとの自殺者数って多い順に3月→4月→5月なのだそうです。
春怖いです。
たしかに春のプレッシャーはすごいものがあります。
やはりバブル崩壊以降、春になるとフレッシュな気持ち!ウキウキ!というより、憂鬱な人が多いのでしょうか。
自分は常に憂鬱な人なので同じ気持ちですね。
春ってなにかと変化する人が多いじゃないですか。
それに取り残された人は落ち込むんですよね。
そんで落ち込んでる時に大抵怒られます。
自分でも思ってたことを繰り返され落ち込みます。
子供の頃は、そういう時に慰めてもらえることが少しは期待できるけど年齢を重ねるにつれ、その期待値はほぼゼロなります。
怒られる時期を過ぎると、無視され始めます、この段階で身内以外の人はストップします。
君子危うきに近寄らず方式です。
身内もずっと怒っていては疲れるので無視の割合が増えますが、それでも時々すごく怒ったりします。
長渕剛さんが何事においても無視するのが一番悪いってラジオで言っていたのを思い出します。
話を聞いてくれたり、怒ってくれたり、泣いてくれたり、みんな嬉しいことです。
相手には迷惑でしかないですが。
とくに自分は話を聞いてもらうことが大切だと思います。
人に話した時点で悩みの8割は解消しているというのは都市伝説ですが、心への負担はそれぐらい軽くなると言ってもけして言い過ぎではないと思います。
もっと深く話すと・・・
なにを言いたかったのかわからなくなってしまいました、きっと春が近いせいでしょう。
とりあえず、今の自分は治療してる歯以外の歯が痛くなっていてすごく落ち込んでいます。
歯磨いてるのに・・・(´□`。)
長男の嫁 part2
最近俺の職場で、複数の女性職員が離婚問題を抱えていらっしゃる様で、普段それほど親しくもない筈の俺相手にも愚痴やら悩みやらをポロリとこぼす様になって来ている。
ちょっと話を伺って見れば、どうやら彼女等は「長男の嫁」に該当している模様だ。
って事で、俺なりにこのテーマに付いて最近のマイブームとして、悪い頭で趣味で考察して見たので、その続編記事を今回はお届けする事にした。
日本人なら皆さん御存知の「AD645 大化の改新」。
この日本の歴史上の大きな事件も、「長子の家督相続」と言う概念に基づいていると言える側面も有ろう。
何故、「長男の嫁」は苦労し苦心するのか?
この永遠のテーマを、再び考察して見たい。
そもそも長男は、その家の初の男子と言う事で、家族の全員に重宝がられて小さい頃から大事に大切に育てられて来たと言う傾向が先ず濃厚に有りがちだと思うのだ。
長男である周囲の親友や友人知人達を見てもそうだ。
その長男は基本的にその家を継ぐ存在である為、生まれて来てからそのままその家に留まり、そのまま外から嫁を貰い所帯を持つに至る。
つまり、ヌクヌク自分の家にそのまま留まり、居心地の良い微温湯に浸かりながらだと言えなくもない。
だから結婚後も、自身がそれまでに自分が生まれ育った家で培って来た価値観なり人生観は、そのまま絶対信条の全く正しき金科玉条として無意識の内にも頭から信じ込み、彼の心と頭の中で永久保存され、それが普遍的に通用する人生通念や社会常識であると思い込みがちになる。
そこに、外からヒョッコリ嫁が来る。
それまで全然違う家庭環境や人生環境で生まれ育って来た2人が、ある日から一緒になる。
そりゃ幾ら愛し合っていると言ったって、一緒に生活してりゃその内どうしても齟齬は来たしてくるし、摩擦や擦れ違いは大なり小なり生じて来て、結果、喧嘩したり、それらが蓄積され重責され、ある日その積分値が臨界点に達した時、最悪は離婚に至るのだろう。
その前に、長男の両親、つまり長男の嫁にとっての義父母と言うものは基本的に長男である息子の味方をすると言い切って良い。
つまり夫婦間に何か事が有る度に、悪くされて責任を問われるのは常に嫁の方だ。
しかも、ここで決定的とも思われる要素が存在する。
肝心の長男、つまり長男の嫁にとっての夫は、基本的にやはり妻や嫁よりも、自身の両親や家の意向を優先する傾向に在る。
本来最も妻に向き合い、最も嫁を大事に大切にし、最も妻を愛でて慈しむべき存在である筈の夫が、実は前提の段階から、最初から妻に向き合う事をしなさがちな側面も存在していると言えそうだ。
妻や嫁に向き合う事を放棄した長男(夫)は、では何処に向き合っているのか?
それは「自分の家」、つまり自身の実家であろう。延いては自身の両親。
これだけなら未だ良い方かも知れない。
妻や嫁を愛し続ける事を放棄して、他所に別の女性を作り、妻や嫁以外の女性を愛してしまう様になる場合も存在する。
その場合であっても、大抵の場合に基本的に悪くなるのは常に嫁であり妻であろう。
こう考えて行くと、長男の嫁と言う専門職種は、如何に途轍もなく孤独で、あらゆる矛盾と理不尽に対して屈辱的に忍従する事を強制されて、特段の気苦労を抱えて行く事を運命付けられた過酷な専門職種であるのかが浮き彫りになって来る。
既述の様に、俺のオフクロも「長男の嫁」だ。
今はオフクロにとっての義父母、つまり俺の父方のお祖父ちゃんやお祖母ちゃんは、両者他界もしくは浄土真宗の阿弥陀仏様極楽浄土お迎え間近な状況と言う事で、オフクロにとってはかつてと比べて精神的には安定した時期に入っていると言えるのかも知れないが、今でもオフクロが長男の嫁として過去に苦労した話を俺が茶化したり一笑に付したりしようとすると、
「アンタなんかにお母さんの気持ちなんて分からないわよっ!!そう言う気持ちを独りで抱えて頑張って来てアンタを育て上げたって言うのにさ!そんな事をアンタに言われたくないわよ!!!」
っと突然語気を強めて、声を荒げて反論する。
そう言えば、今思い出した。
俺のオフクロは小さい子供の俺の前で目を真っ赤に腫らして涙でグジュグジュになりながら、「死にたい・・・」とこぼしていた事も5回や10回ではなかった。
年齢片手の当時の俺にとって、オフクロが何でそうなっているのか、何でそんな恐ろしい事を口走っているのかは全く理解出来なかったし、分からなかった。
ひょっとして、亭主になったこの現在でも、当時のオフクロの気持ちを本当には理解出来ていないと自分で思うのだ。
日本全国の長男のお嫁さんの皆様方。
宜しければ、俺のオフクロを見てやって下さい。
貴女の義父母も、いつまでも生きている訳では決して絶対にありません。
人間はいつかは必ず他界します。
ですが、順当な順番から行けば、先に他界するのは貴女の義父母なのです。
子供もいつまでも子供のままでは決してありません。
それほど気合を入れて子育てしなくても、親として最低限の事さえやっておけば、子供は放って置いても成長して行きます。
やがて大きくなり、ひとりでに親の手を離れて勝手に独り立ちして行くのです。
その際に、子育ての段階で子供に対して親として無類の愛情を注ぎ続けていれば、それはやがては子供が大きくなって、それまで自分を育ててくれた親に対する大きな愛情として、更に大きくなってちゃんと帰って来ます。
ですから、日本全国の長男のお嫁さんの皆様方。
決して諦めないで下さい。
決して、投げ出さないで下さい。
必ず幸せになれるから。