宇宙人ぶすおの真実の記録

穏和な日常生活の風景。 幸福。 幸せ。 心の安定。 精神の充足。 心の平安。 愛情。 愛と調和。

2011年05月

孤独な英雄の帰還 ~震災ボランティアを終えて~

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震災ボランティアを終えて、やっと自宅に到着した。

親友の予言通り、やはり自宅に到着すると、自分でも思っても見なかったほどに疲労がどっと噴き出して、そのまま昏睡状態に陥ってしまった。

色々な事が、現地であった。


KINTAさんも仰る通り、現地に行かなければ分からない事、テレビで報道に接するだけでは分からないナマのliveな事は沢山有った。


東北の方達はどの方も温かく、そして力強かった。


ある日、特別にいつも宿泊させて頂いていた避難所にて、そこの避難所の責任者の局長さんが、朝食の最中にわざわざ「コウナゴなんて如何ですかぁ?」と、ニュースの報道で話題のコウナゴを振舞って下さった。

僕は生まれて初めてコウナゴ(上記写真)を食べた。
コウナゴはそこの被災地の名産品なのだそうだ。

目の前に居た福島県庁からのボランティア職員さんは、「コウナゴってね、こうして御飯に山盛りにして掛けて食べるんですよ。」

僕の印象では、コウナゴって、大きな煮干って感じだった。
でもとても美味しかった。
御飯が進む感じがした。

「どうです?ほら、もっと沢山召し上がって下さい。」



こうした現地の人々との温かい 交流が、俺の人生の貴重な財産となって、日頃普段は友達の少ない孤独な英雄は、現地の人々の拍手と歓呼の内に見送られて、独り静かに故郷に帰還した。



帰りは温泉旅館に宿泊したが、俺の心の中は避難所の被災者の方達を想っていた。


温泉旅館よりも、やはり自宅が一番落ち着く場所である事を 再認識させられた。


職場のボスからは、僕の安否を心配する電話が度重なった。
ボスは随分と僕の事を心配して下さっていた。
この様な貴重な人生経験の機会をお与え下さった職場のボスには心より感謝申し上げたい。


今回のブログ記事を御覧になって下さり、応援のメッセージをコメントして下さった皆様、本当にどうも有り難う御座いました。
皆様の応援と祈りに支えられて、何とか無事に終える事が出来ました。


被災者の方々に元気と勇気を与える筈が、逆に僕が被災現地の方々から励まされて勇気付けられてしまった。




今回の震災による全ての被災地の復興と回復を、心より祈る。 

震災ボランティア 第10日目 最終日

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所長さんに最後のお別れの挨拶を済ませ、最後に朝のミーティングの席で皆さんの前で御挨拶申し上げた。

「東北・福島県の温かいお人柄の皆様に、逆に僕の方が元気を頂いてしまいまして、おもてなしを受けてしまった様に思います。僕の郷里の静岡県で今度は東海大地震が起こり、今話題の浜岡原子力発電所がのっぴきならない事態になったら、今度は皆様の手をお借りしたく存じます。お待ち致しております。本当にお世話になりまして、有難う御座いました。」


拍手で送られた。


さぁ、ここの避難所も出なければな。
荷造りはほぼ終わった。

最後に局長さんに挨拶をせねば。


名残惜しい。

皆さん、さようなら。
有難う。
お世話になりました。

いつか、いつかまたお会いしましょう。
さようなら。



これにて震災ボランティアの全ての任務の終了を確認した。
以上で被災現地からの発信を終了する。

震災ボランティア 第9日目

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俺は今日は朝からこの持ち込んだ個人のノートパソコンの前にへばり付いている。

そう、任務終了を正式に現地の所長と郷里の職場から告げられ、明日の昼頃にここを発つ事になったのだ。
帰りの道中の宿泊施設の予約をネットでしたり、メールを書いたり。

これから、お名刺を頂いた方々にメールを書かなければならない。

そして周囲の方々への挨拶も未だ済んでいない。


実に、去り難い。
実に名残惜しい。

俺は正直、泣きそうだ。


俺は、ここの方達と打ち解けて情が移ってしまったのか。

だが任務を無事に終えた俺を、郷里の妻や大切な友人達は待っていてくれているし、本来の自分の仕事だってあるのだ。


あっと言う間であった。

本当に、楽しかった。
逆に俺が被災者の方々から元気と勇気を頂いた。

これは一生の思い出だ。

職場のボスは、帰りの道中、ホテルに宿泊しながらとかしてゆっくり安全運転で帰って来いと仰る。

このブログを書いている最中、ここの避難所の方々が任務を終えて帰郷する俺の為に、「これ、帰りの道中食べて飲んで下さいね。」と食料と飲料を渡してくれた。

逆に俺がもてなされて、気を使われてしまってやしないか??


俺は、涙を流さずに最後のお別れの挨拶をする自信が、余り無い。

震災ボランティア 第8日目

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地元の保健センターで催された勉強会に誘いを受けて、受講した。
中々に面白く為になった。

その帰り際、現地の組織の役員に夕食に誘われて、地元の人を交えて食事を楽しんだ。

こっち東北の福島の方は本当に朴訥で善良な方が多い。
出された食事もほぼ総て地元産の物で、やはり田舎は食べ物が超美味しいと思った。


毎日が本当に新しい充実した出会いに溢れている。

人生とはこんなに素晴らしいものなのかと気が付いた感じがする。

避難所の方達も、既に俺を御存知の方も多い様だ。

避難所の犬の茶太郎君には完全に懐かれ、子供にも懐かれ、皆さんと仲良くさせて頂いている。

不謹慎かも知れないが、1000年に1度の未曾有の大災害の被災現場は、俺にとってはこれまでの人生で最も心が充実して生き生き出来る場所なのである。


だが、もう俺はここで役割を終えた様だ。

そう、明日にでも職場と電話で相談し、所長とも良く協議をした上で、そろそろここを去ろうと思うのだ。

実に名残惜しい。

福島県の方達は、本当に皆さん温かくて良い方ばかりだった。



僕の活動拠点の場所の裏に、驚いた事に天之御中主大御神(あめのみなかぬしのおおみかみ)が御祭神の神社が存在した。
この神様は、皆さんも御存知の様に、日本神話の最高神。
この大宇宙に太古の始原として最初に御顕れになられて、神御産大神(カミムスビノオオカミ)様と高御産大神(タカミムスビノオオカミ)様と御三方でこの大宇宙を創造された造化三神のお1人だ。

俺はお賽銭をタップリ投げ入れて、暫しあらゆる事を祈った。

被災地の一刻も早い復興、被災者達に支援と祝福が与えられます様に、郷里で僕を心配してくれている妻や親友達や大切な方々に祝福とお恵みが大いに溢れる様に与えられます様に。
静かに祈った。

神社の灯篭は、左右両方とも完全に倒壊していて、その他石段も派手に転落していた。
クレーンを使って一旦上に引き上げて、丁度そうして復旧作業をしていた。


このタイミングで、この時期でこの神様に御挨拶が出来て、本当に良かった。

神社の境内では、被災者への支援物資の仕分け作業が行われていた。


現地での任務をほぼ終えた俺に出来る事は、後は祈るのみだ。

震災ボランティア 第7日目

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今日は一週間目にして、当初予定通りにお休みを頂いた。
朝は思いっ切り寝坊して、朝食準備をサボってしまい、昼食準備も毛布の中でダラダラ携帯で長電話してサボタージュ。

それでも職員さん達は、僕に多めによそった御飯をわざわざ運んで来て下さるのだ。

「お疲れですねぇ!」

実は昨夜、自分でも言うのも恥ずかしい事をしでかしてしまった。
日頃普段から大切な友人の人を、些細な切っ掛けから言葉の暴力を以って、メールと電話で罵倒してしまい、その方を大変に落ち込ませて、大いに悲しませてしまったのだ。

福島県庁の行政機関から出向されておられるボランティアスタッフさんが寝袋で寝ておられる直ぐ横でだ。


今日の日中、俺は深夜電話でボォッと朦朧とする頭の中でずっとその人の事を考えながら洗濯をしたり、避難者が連れて来て避難所の中庭に繋がれているミニチュアダックスフント犬の茶太郎君と戯れていた。


俺は、遠路遥々やって来て困っている人達に救いの手を差し延べる為に活動している筈だ。
ところが、俺が昨夜しでかしてしまった事は、何ら落ち度の無い、日頃普段から俺に応援のメッセージと祈りを添えて下さっている方に、些細な事でキレて暴言を吐いてしまったのだ。

電話口でその方は、声も聴き取れない位に落ち込んでしまっていた・・・。


所長に認められ、日頃の活動を褒められている自分が、自分で誇らしい。
だが昨夜の自分は、自分でとても恥ずかしく情けない。


俺は避難者用の洗濯機をお借りして回しながら、真夏の気温にまで上昇したカンカン照りの屋外に聖書を持ち出し、木陰に入って「ヨハネによる福音書」の続きを読みながら、独り静かに祈った。

「おぉい、にぃちゃん、洗濯終わったよぉ。次は乾燥機で乾燥させるだべ。へぇ!おにいちゃん静岡県から来てるだかぁ。そりゃ御苦労様なこったねぇ!」

洗濯小屋の裏の小さな木陰で、独り聖書を読み耽る俺に、洗濯終了を告げに来てくれたオバちゃんと少し話した。


人を助けようと意気込んでいながら、俺は人を傷付けて傷害した。


自分で自分が抱える矛盾に耐え切れない様な思いが込み上げて来た。


暫くの間、その大切な友人の方とはあえて電話する事を止めて、冷静になって祈りの内に神様と相談して、善後策を考えようと思う。



ついさっき、ここの避難所でちょっとした事件が有った。
俺は偶然その現場に遭遇してしまった。

俺が散歩から帰って来た避難所の玄関先で、何やら液体をビチョビチョ垂れ流している物音がした。

「あのぉ、立ちション止めて下さい。おい、立ちション止めろ!クッソォが。」
20歳位の背の高いイケ面ボランティアさんがマジギレしている。

最初、俺は子供が玄関先で立ちションしてたと思った。
だが悪い目で良く見てみれば、50歳過ぎ位のオッサンが、なんと避難所の玄関先で立ちションしていたのだ!

「あぁいつ、まぁたやったかっ!!」
すぐさま近くに居たおっちゃんがそいつの所に飛んで行き、その立ちション親父に食って掛かり、怒鳴りながら説教した。

「おぉまえ、好い加減にせぇよぉ!!バチン!(頬を叩いた)何遍言ったら分かるんだぁ、こんのぉ!お前ガキじゃねぇんだぞ!恥ずかしくねぇのがぁ、ごっらぁ!!おいっ!!」
「悪かったべ・・・。悪かったべぇ・・・。」

「おまぁえ、そうやって何遍謝ってまたおんなじ事ばぁっかりしやがってぇ~!!」

大声で怒鳴る声がホールに響き渡る。
辺りは一時騒然となった。

俺は近くに居た、前からいらしてた20歳位の可愛い男の子のボランティアさんに話し掛けた。
「皆さんはボランティアさんなんですか?本当に色々な方が避難所には居ますよねぇ。」
「そうですよねぇ(^^;」


しっかし、50過ぎたイイ大人の男が、ごった返す公共施設の玄関前で立ちションって、あんた・・・(爆笑)

いっやぁ、俺もまだまだヒヨッコですなぁ。


さぁってっと。
オイラの明日の予定は・・・。

日中は総て自由行動で単独任務。
18:00~から、被災現地の方々の御配慮を賜って、とある勉強会に出席する事になっている。

明日はどこの避難所を廻ろうかね。

朝に、渡された市内地図を見て行き場所を決めよっかな。


俺は実は独りで行動する事が大好き。
集団行動かなり苦手。

俺が傷付けた事を、友人は赦してくれるのだろうか・・・??
いや、赦してもらおうなんて考える事自体が既におこがましく図々しいのかな。

俺も今夜は早く寝よう。


あ、書き忘れた。

そう言えば、良い事仰るなと印象的な会話が、俺のこのパソコンを置いている直ぐ前の方々の会話から聴こえて来た。
その方は、日頃は俺に対して過度なまでに丁寧で親切な福島県庁の行政機関の職員さんだ。

「ここの避難所でも昨日からイタリア人のハープ演奏だとか、津軽三味線の演奏会だとかやってるけど、それを道楽だと非難する人達は間違いだと僕は思います。人間は寝る所が有って3食ちゃんと食べられても、まだその上にこうした文化的なものを必要とする生き物だと思うのです。ましてこう言った家や家族を失った避難者や被災者の方達にとって、そうした文化的なものが大いに心の慰めにもなっている面は有ると思いますね。」

素晴らしい御指摘だなと盗み聞きしながら妙に納得してしまった。


ここの職員さん達もそうだが、公務員の方達と言うのは全般的に皆礼儀正しくて真面目な方達が多い。
止めて下さいと再三お願いしても、俺に対して敬称や尊称で呼び掛ける事を最後まで止めなかった方も居られた。

その方達は、やはり俺も同じくだが、夜の7:00になると、テレビのチャンネルを必ずNHKに合わせて「ニュース7」を必ず視聴していた。
俺も一緒に夕飯を頂きながら観ていた。


こうした真面目な公僕は、やはりいつの世のどの国家や政治社会体制でも常に必要とされる存在だ。
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