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僕の大学時代以来の大親友であるO氏が、このGWの3連休に、お住いの九州は大分県から、わざわざ飛行機を使って福岡空港経由で、富士山静岡空港から静岡県浜松市の僕の家に遊びにいらしてくれた。

O氏と会うのは大学卒業以来で、実に11年振りの再会だ。


大学時代以来、お互いにお互いしかまともに友人、親友と呼べる存在が皆無であるが故に、僕としては彼の来訪がとても嬉しかった。



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僕の親父が、そう言う事ならばと、彼を浜名湖のボートに乗せて、朝から釣りに出撃したが、こちらの成果は0点ボットン落第の糞坊主の海坊主の丸禿ツルぴかビチボト脱糞状況に涙したが、その足で船で航行し、浜名湖畔の鰻料理屋さんに出向いた。



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現地に車で行った僕の妻と弟とオフクロと合流し、しばし和やかに美味しい鰻を食しながら、歓談した。



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彼は静岡県来訪は初めてで、今回の静岡県浜松市の旅を、少しは楽しんでくれた様で、僕としてもとても嬉しい。



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彼は浜名湖遊覧も、面白がってくれた。



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船に乗ったまま、僕と妻がかつて知り合った浜名湖花博の会場内の水路を、そのままボートで航行する事になったが、これは僕にとっても感慨深いものであった。



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それにしても早朝から4時間程も時間を費やして、全く釣りの成果が無かった事は、O氏に対して心から申し訳無く、また悔やまれる事となってしまった。



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そして3日間の滞在期間の内、他に見て楽しむ場所や事物と言えば、もうこれ以外には他に無い。

そう、我々浜松市民や浜松っ子にとってのメイン行事は、この浜松祭りをおいて他に無いのだ。



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我々はこの構造物を、通常「屋台(やたい)」と呼ぶが、大分県出身の彼は、「これは『山車(だし)』と呼ぶ物ではないのか?『屋台(やたい)』と呼ぶ物は、(沿道に出店している出店を指差して)ああ言う出店を屋台(やたい)と呼ぶのではないか?」、とやや不思議がっていた。



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だが彼が眼を惹かれた点は、この屋台(山車)の木彫りの彫刻の、途轍も無い繊細さと複雑さに有った。


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眼前を色々な町(組)の屋台が通る度に、O氏はかなり興奮気味に手持ちのスマートフォンで、何度も何度も接写を試みていた。


僕は浜松祭りに関して、彼から初めて指摘されたのだが、「この浜松祭りのラッパの節やメロディーって、野球の阪神タイガースの応援の歌にそっくりだね!折角繊細で煌びやかで素晴らしい山車が、御囃子(おはやし)の音と共に緩やかに通り過ぎていると言うのに、その繊細で良い雰囲気を、このラッパの音がぶち壊しにしてしまっていやしないか!?勿体無い。」


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九州は大分県出身の彼からすると、我々の浜松祭りはそう見えたのか。


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僕も小さい頃から参加して、慣れ親しんだ地元の浜松市の最大の祝祭行事は、41歳に成り改めてちゃんと眼の前に見てみれば、それはまるで各軍や師団がそれぞれ独自の隊旗を力強く掲げて振り、勇ましく勇壮に続々と結集し、各軍団が力に溢れてカッコ良く集結している様に見えて、改めて実に頼もしく感動的であった。



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浜松祭り、最強の精鋭部隊が、ここに集結。

その際の浜松祭り軍団の総大将、或いは最高司令官は、浜松市長の鈴木康友さんと言った所だろうか。



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改めて、暫く間を置いた後に、親友の別の視点や視座を通して、自分の故郷の毎年の恒例行事を改めて見てみれば、相対化されて別の側面が見えて来る事に気が付かされる。



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だが、僕が改めて見てみる浜松祭りは、やはり何も変わる事無く、元気に溢れて、心の底からの笑顔が其処彼処に溢れて眼に見えて、やはり素晴らしく尊いお祭りであるとの再認識は、変わらずに居られた。



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我々は昨夜に夜の部を見学し、今朝は僕の以前の実家の浜松市中区浅田町に一旦車を停めて、其処から2人で徒歩で、馬込川の堤防をひたすら歩き、南へ南へと向かい、中田島の凧揚げ会場に到着した。


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やはり凧揚げ合戦は、間近で観るととても勇壮で迫力有る。


僕が小さい頃の凧揚げ合戦と同じだと思えたのは、露店で焼く焼きそばや広島焼き、また烏賊のソースの良い匂いが、会場全体に漂っている事が、食い意地の張っている僕には最早風物詩であるとさえ思えた。

O氏はその場で、何か喰いたい(我々は今朝の朝御飯を、食べてはいなかった)と僕に申し出てくれたので、どの屋台・露店の物でも好きな物を食せと勧めたら、彼は500円の焼きそばを選んだ。
だが肝心のお味は、不味かった様だ。残念。

こう言う物は味そのものを求めるべきものではなく、場の雰囲気で味わうと言う物なのだろう。
今更ながらに気が付かされた気がする。



あぁ、そう言えばこの僕も1歳の時分に、初子として凧を揚げてもらったんだっけね。

後で親族から聞いたが、伯父さんが僕を肩車して高く掲げて、その周りを浅田町(あ組)の練り隊が勇ましく練り回って下さった時は、大口を開けてワンワンと泣き喚いていたらしい。



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今年は風がやや弱いせいか、凧を揚げるのに、各団体さんは結構苦心、苦闘為さって居られた様子であった。


いざ、舞い上がれ!



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天高く舞い上がれ!



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こうして今年も、3日間の浜松祭りは、閉幕した。



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浜松祭り見学の後には、五味八珍の浜松餃子を振る舞ったら、それも美味しいと喜んでくれたO氏。


今度は浜松祭りに、参加してみては?と誘ってみたが、それは彼は遠慮したのであった。



そしてO氏は、明日にまた富士山静岡空港から、御地元の大分県に帰省される。

やはり唯一無二の親友と言うものは、とても良いものだな。




今年も浜松祭り関係者の皆様方、本当にお疲れ様で御座いました。

そして、どうも有り難う御座いました。