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私自身、自ら死にたいと思った事は、取り合えず記憶には無い。
だが私の仕事柄、鬱病を患い抗鬱薬の服用を必要としていた方にはかなりの頻度でお目に掛かった。

イミプラミン(3環系抗鬱薬)やパキシル(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)がその代表だろう。
これらの薬剤の作用原理、生理活性機序は国家試験勉強の段階で叩き込まれたので知識としては知っている。

実際、私のある知人は、もうここ最近10年以上ずっと鬱病だ。

俺は鬱病にはなった事は無い。
実際、性格診断テストか何かでも、「あなたは鬱病にはなり難いタイプです。」と出た。

鬱病は、なった人しか分からない地獄の苦しみなのだろう。


何故、地獄だと言えるのかと俺が思うのか。
何故ならば、先ず総ての生きとし生ける生命体は、細胞内の電子顕微鏡レベルでまで、生きよう生きよう、病気を治そう治そう、是が非でも生き延びよう生き延びようとするものだ。

だが鬱病に罹ってしまった人は、もう死にたいとばかり考え続ける。
僕は私は、自分はひたすら死にたい、死ぬしかない、と。
最早、思考が生命存在の根源的かつ絶対的方向ベクトルとも言える生への希求と走向性に真っ向から逆行する異常な逆転現象と言う他無い。
それが証拠にか、鬱病患者の食欲や睡眠欲、そして性欲までもが異常に減退し、まず食物が摂取出来ない、したくない。夜全然眠れない、つまり不眠。性的な欲望も覚えないと言う症状を呈する。

皆さんも既に御存知の通り、食欲・睡眠欲・性欲は人間の基本欲求。
これらが全て総じて著しく減退すると言う事は、その人間、つまり鬱病患者は生命力そのものが著しく危険水域にまで減退していると言わざるを得ないだろう。
そして、元来、生命体として生を希求する正常状態が、自らの死を希求すると言う異常状態に陥る。


日本国は今や3万人以上もの人間が毎年自殺して自らの命を絶つ。

その人達がそうなる前に、未然に防ぐ手立ては無かったのだろうか?

それには周囲の人間が、そのサインや兆候に少しでも気付いたら、救いの助けの手を差し伸べる事が先ず先決なのではないだろうか?
鬱病に陥ってしまう前に、気落ちして沈む友人に温かい言葉を掛ける、取り合えず話を最初から最後まで遮らずに傾聴する。

出来る事は何かしら有るだろう。

でなければ、自殺者数はこの先一向に減っては行かないだろう。