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つい先程、妻とクリスマスミサから帰って来たのだ。
カトリック教会は、信徒さんで礼拝堂は超満員。
見た所、出席者の4分の3はブラジル人の方々の様であった。

妻と僕は、補助席を最大限に設けた礼拝堂にすら入れずに、外で立ち見という感じだった。

司祭の神父様はお風邪を召されておられた様で、マスクをなさりながら礼装で司式されておられた。


「全知全能の父なる神よ、どうか罪深い私達を憐れみ(あわれみ)、私達の罪を赦し、永遠の命にお導き下さい。アーメン。」


最前列で静かに熱心に祈り、讚美歌を歌う人達。
元気に讚美歌を大声で唄うチビっ子達。
老夫婦も居て、赤ちゃんを抱き抱えながら典礼(ミサ)に与る若い夫婦も居る。
2人で静かに祈りながら讃美歌を唄う、10代の若いカップルも居る。
礼拝堂の外で、全くやる気の無いオーラ丸出しでずっとスマートフォンをいじって彼女と座り込んでくっちゃべるイケメン10代のカッコ良いお兄ちゃんも居る。
典礼(ミサ)の後に皆で食べるようにと置いてあるケーキを、待ち切れずに食べたそうにしている子供っち達も居る。
マイ聖書を持ち込み読み耽っては、好奇心丸出しでフラフラ教会内の備品を興味津々に見て回る僕ちゃんも居る。


やはりクリスマスは、本来の本当の意味での過ごし方が一番心と精神が霊的に満たされるものだ。
神様がお造りになられた人間:HUMAN BEINGと言う生き物は、そもそもが霊的な生き物であり、現世欲やこの世的なモノを追求する事が如何に虚しい生き方かと言う事が、俗世間(特にここ日本国のクリスマス)でのクリスマスの通例普通とされる過ごし方との対比の上で、毎年のクリスマスミサの度に強く再認識させられる。




教会はもう建物が古いので、3年後をめどに全面的に新しく建て替えられるのだと言う。
全く見ず知らずの方が、新教会の設計図に見入る僕に案内してくれた。


帰りに教会の玄関で、妻は見ず知らずの方が前でスリッパを脱いだのを見て、そのスリッパを片付けて上げたら、「Merry Christmas!」、と笑顔で返されたのだと嬉しそうに言っている。
そしてそのまま帰りにウチの車に乗り込んだら、ナヴィゲーションシステムが「12月24日、土曜日です。Merry Christmas.」と音声で案内したのだ(笑)
全く、気が利いている優れたクルマだ。
ますます好きになった。



帰宅直後、大学時代以来の親友のO君から電話が。
同じ同級生のT君も、O君の傍に居た。
聞けば、昼間は2人して出会い婚活パーティーに出席したものの、何の収穫も得られずに惨敗を喫し、2人でヤケ糞になってカラオケボックスにしけ込んだのだと。
カラオケボックス内でカラオケも歌わずに、ただ座り込んで煙草を吸っているT君。
電話口で、後ろが何も物音しない静かな様子が伺えた所が、かえって虚しさや寂しさを感じさせた。
「おい、お前ら、今夜はクリスマスイブだぞ!?男2人してお前ら何やってんだぁ!??もう切るぞ、お休みな。祈っているよ。」
ヤケ糞になっちまったO君は、キリスト教や神父に対しても悪態をつき始めた。




今、このブログ記事をお読みになって下さっている貴方に、主イエス様と聖母マリア様からの豊かな祝福と恵みが満ち溢れる事を、心よりお祈り申し上げます。