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本日は、終戦記念日の8月15日。
あの、昭和天皇陛下の玉音放送は、戦争を全く知らない僕らの世代にも、もうお馴染みですよね。

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・。」

大日本帝国、ここに敗戦。


っと、昨日のブログにも書いた通り、以前に夫婦で大変お世話になっていた浜松市の人材派遣会社のS社長より、突然に第21回:浜松市プラタナスコンサートに夫婦2人で招待された!!

これは1000名のみ招待制となっており、応募者多数の場合は抽選となる。
今回は応募者の内3分の1の方が、残念ながら落選してしまったそうな。
そこに、僕等は無条件で参加出来るなんて・・・。ラッキィ~~~!!!
S社長、どうも有り難う御座いますっ!!!



ところで、浜松市のプラタナスコンサートとは?

太平洋戦争末期、「浜松大空襲」で市街地は焼け野原になりました。そのとき40数本あった「プラタナスの木」が3本と「松菱(浜松市の老舗の百貨店。現在は破産して他の資本グループの傘下に入った)」などが残こり、現在では「市民の木」として浜松市民に親しまれています。
 毎年、終戦記念日の8月15日に
 この「プラタナスの木」にちなみ、戦争の悲惨さを伝えるコンサートが、「プラタナスコンサート」。


なのだそうです。

僕は浜松市出身のくせに、恥ずかしながら初めて知りました・・・。

そう言えば俺の実家の直ぐ近くの歩いて3分の所に、俺が産まれる前からある「キッチン プラタナス」って有った。このプラタナスは、何か関連が有るのだろうか??
小さい頃にこのお店で、親父に連れられて兄弟でスパゲッティだかオムライスだかを食べた記憶がうっすらと有る。
実家のお墓参りに行った帰りに、夫婦でお腹が空いたのでそのキッチン プラタナスでランチでも食べてみようと車で通り掛かったら、なんとそこは、今はただの民家になっていた。
キッチン プラタナスは、既に消滅していたのだ。


アクトシティのレストラン街にて、昼食を無難に済ませてしまい、そのままエスカレーターで移動してコンサート会場の中ホールへ。

あ、開場時刻を待たずして、もう長蛇の列が。
そこに、直ぐにS社長と俺はお互いを認識。

「おぉ!I君、元気にしていたかぁ!??」
「えぇ・・・、まぁ・・・。そのぉお・・・。」

言い難い事情を言っても、やっぱりS社長は常に温かく僕の味方でいてくれる。

開場時刻まで待つ間、僕と妻とS社長の3人でずっと話をしていた。

そしたらその話の流れで、今週末の土曜日に、単発日雇いのお仕事を妻がやる事がその場で決定(笑)
「宜しくお願いしますね。」っとS社長。

S社長はお二人の元気な息子さんと奥様と4人で座り、僕等はそのすぐ後ろでコンサートを鑑賞。


今回のプラタナス コンサートは、歌手の庄野真代さんが出演。
手元のパンフレットを見れば、いつもの通り「特別協賛企業」の筆頭にヤマハ株式会社。
今回ステージで使用されるのは、やはりヤマハの旗艦商品であるコンサートグランドピアノ「CFⅢ-S」。
坂本龍一さんや、その他世界中で著名アーティストの方々に御使用頂いているヤマハの商品の最高峰。
製造所は、ヤマハの心臓部である「ヤマハ掛川工場」なのです。
ここからヤマハのピアノ製品は世界中に輸出されるのだぁ。


まぁ、それは良いとして。

S社長の会社名も、きちんと「協賛企業」の中に入っていて堂々と表示されていた。


うん。だから、歌手の庄野真代さん。

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世代が全く違うせいか、俺には全く分からない、知らない。
何でも、その昔に「飛んでイスタンブール」なる曲が大ヒットした女性歌手らしい。

コンサート中、俺は実は殆ど爆睡状態(^^;
でも妻は目を輝かせて楽しんでいた。

コンサート終了後、庄野真代さんがCD販売の現場にていらっしゃったが、実年齢よりも15歳は確実に若く見える程、大変綺麗で若々しい方であった。
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後で、YOU TUBEを検索して見たら、動画が有りました。
ハイ、確かに今日のコンサートで、庄野真代さんはこの歌を唄っておられましたね。
実際に聴いてみると、うん、結構良い曲だな。
KINTA様なら、この曲と歌手を御存知なのかも知れませんね。
S社長と妻は2人でこの歌手の事で盛り上がってましたが、僕だけ蚊帳の外でした。


では、どうぞ。