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皆様、メリークリスマス!!!
我等が救世主:イエス・キリストの御降誕を心より慶び申し上げます。
本来、クリスマスとはイエス・キリストの降誕を祝うキリスト教最大の祝祭日であり、それはそのまま世界人類史上最大の祝祭日でもあるのだ。
それが、いつの間にかここ日本国では恋人やカップル同士が共に過ごしラブホテルでセックスする日であると定められた。
そう聖夜は、性夜に置き換えられたのである・・・!!
僕はキリスト教徒だが、こうした完全に的外れな事象に対して、「神への冒涜だ!チツにけしからん!!!!」などと怒鳴り散らしたりするつもりは無い。
何故ならば、長らく景気低迷に喘ぐ日本において、クリスマスの経済効果は現実に凄まじいからだ。
クリスマスに浮かれポンチにチンポをしゃぶりぶりぶりのチンボコしゃぶりの馬鹿っプル共が今夜に使い込み、落とし込むカネの総額は、非常に凄まじいものだ。
浮かれポンチ馬鹿ップルちんぼこ低能カップルが、停滞する日本の経済を救うのだ。
これが、現実である。アーメン、主イエスよ、無知で愚かなる我等を憐れみ給え。
アーメン、ザーメンなる下品で低能で豚クソ馬鹿で軽佻浮薄なる心の者共が今夜もカネを必要以上に消費し、更にまた明日から貧乏暇無しで貧民奴隷の日々が訪れます様に。
クリスマスに独りぼっちの「クリぼっち」など恐れるに足らぬ。
我が親友O君から、「メリークリトリス!!!クリスマスだと言うのにクリトリスすらも舐める事適わず、こうしてT君と惨めで情けない風俗巡りのクリスマス巡礼の旅に出ております。」
穢れ無き聖母マリア様は、ドス汚い性的欲望で汚れ切った性母などではないのである。
こうしてマリア様の御守りを身に着けていても、孤独と寂しさに苛まれて苦しい思いを抱えている人々も世界には多いだろう。
そんな時、思う筈だ。「神様なんて居ないよ!」
だが、苦しい時代や暗いトンネルもいつまでも永遠に続くものでもない事もまた人生の真理だ。
だから、僕は毎年この日には、音楽の父:バッハの4大宗教声楽曲の1つ、「クリスマス・オラトリオ」を聴きながら静かに聖書を読み、祈る。
今日はそれに加えて、やはりバッハの4大宗教声楽曲の1つ、「ヨハネ受難曲」を聴きつつキリストの受難、即ちキリストの十字架磔に想いを馳せ、聖書の該当箇所を読み、祈った。
KINTA様も仰る通り、でもやはりこの日付近は何となく心がウキウキ何処と無く楽しい気分に高揚するものだ。
それを、十字架刑の死から神の力により復活し、天に上げられたイエス様は、天から長い目でお広く大きな度量で我々日本人のクリスマスを見守って下さっているのかも知れない。
いつもここ最近毎年、クリスマスにお祈りに行くカトリック掛川教会が、さっき妻と訪れたら礼拝堂が完全に取り壊されていた事には驚いた。
礼拝堂の新築計画が有るらしいのだが、古くても僕としては思い入れの有る古いカトリック掛川教会が消失したのには少し寂しさを思えるものだ。
妻が今日は仕事帰りに僕を車で拾ったのだが、妻の話を聴いて僕も少し心に響いたので、ここに今年のクリスマス・イブの小話として取り上げたい。
妻に、お歳は中年位の男性が突然に話し掛けて来て、愚痴を言い始めたのだと。
「俺はよぉ、今までに幸せだった事や幸福だった事は余り無かったんだよ・・・。サラリーマン辞めて実家の花屋を継いだんだけどもよぉ。これが中々上手く行かなくてさぁ・・・。嫁は花屋の仕事を全く手伝ってくれなくてさぁ・・・。どうせ俺なんかこの先生きて行って頑張っても良い事なんか有りゃしねぇさ!!。ウッ・・・。サラリーマン時代が恋しいんだよ、俺は・・・!」
「お客さん、そんなこと無いですよ!神様は人間皆に平等で公平なお方ですから、頑張っていれば必ずその内良い事が有りますって!!これ(パイナップル)食べて元気出して下さいね!!」
「おぉお!有難う・・・!有難うね・・・!!(涙ぐむ)」
思えば、僕は確かに現在は幸福な時代を享受しているが、幼少時代や子供時代はとてもヒトには言えない様な最低最悪に暗くて苦しくて辛い辛い、しかも永い永い日々が延々と続いた時代も有った。
だから、聖なる夜に恋人と妻と嫁と、果ては不倫・浮気相手と性なるトンチキリオなリオのカーニバルの馬鹿バカばかーにばるなチンボコオマンコな夜を過ごそうと特段批判非難すべき事ではないと僕はクリスチャンとして思うのだ。
何故ならば、今夜は浮かれイカレぽんちチンポな彼等とて、過去には或いは未来のいつかは絶対に必ず苦しい艱難辛苦の時代に喘ぎ、「もうどうしようもない」と絶望する時代は必ず到来すると言えるだろうからだ。
せめて一時の安息に、性なる果実を食した所で神様の前ではそう重い罪ではあるまい。
全世界中の人々に、幸福で幸せな人が1人でも増えます様に、自分の人生が自身で不幸で不幸せだと感じる人が1人でも減ります様に、主イエス・キリストの御名によりお祈りを父なる神様の御前にお捧げ致します。アーメン。
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