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COVID-19(新型コロナウイルス)の終息

ここに来て、世界各国と日本国のCOVID-19(新型コロナウイルス)の感染拡大の様相とその程度の違いが、浮き彫りになって来た。
我々日本国は政府の効果的な対策のお陰も有り、僕の当初予想通り、感染拡大は比較的とても小さなものに収まって居る。

中国を旅行して見ると良く分かるが、日本国と中国とでは、社会の衛生環境が全く違う。
日本国は首都:東京都は世界一の人口と人口密度を誇るにも関わらず、ゴミ一つ落ちて居ない。
所が中国は全く違う。

日本国は中国程には酷く感染拡大を起こす事は無い事は、僕には最初から分かって居た。
だが油断は禁物だ。
引き続き手洗いと嗽をしっかり行い、自衛と予防に努める事を怠ってはならない。

新型コロナウイルス:COVID-19は、表面が脂質で構成されて居る。
従って界面活性剤、つまりは普通の石鹸や台所の中性洗剤、洗髪用のシャンプーで全て完全に洗浄出来、また死滅する。

もう既に本国中国においても、また日本国においても、感染拡大は完全にピークアウトした。

だが欧州、特にイタリアとスペインは、酷い有り様だ。
現時点でTOKYO2020は、延期する事が最も現実的な方策だろう。
僕が思うにだが、日本における明確な新型コロナウイルスの終息と言うのは、マスメディアの報道が完全に終息する時とほぼイコールなのだろうと思う。
人は日本人に全く限らず、マスメディアの報道に実に踊らされ易い生き物なのだ。

今は忍耐の時だが、新コロの夜明けは近い。

聖書:「この様な事が起こったら、頭を上げなさい。貴方方の解放の時が近いからだ。」

だがそこに、kinta様も触れられていらした通り、インドのスーリヤ寺院にて保管されて居るインド歴が、明日のAD2020 03月20日(金)を以って終了する。
そこに古代マヤ歴が終焉するのは、明日の同日であると言う説から、AD2020 03月20日(金)の明日の春分の日が、世界の終末、人類の滅亡が到来する日であると、一部で盛り上がって居る。
だが「最後まで耐え忍ぶ者は、救われる」のだ。
三陸沖地震が再び発生
2012年(平成24年)5月22日(火)には何が起こるのか?
5月21日(月)の朝7:30頃ですねぇ。
そう、金環日食です!!!
僕はこれを妻と自宅で鑑賞してから、車で親父達と東名高速道路を通ってセントレア空港ホテルに向かう予定です。
問題は、その翌日である2012年(平成24年)5月22日(火)の話題である。
前回の記事が、予想外にもネット上で大反響となっちまったオイラのこの個人ブログ。
普段は1日の訪問者数は60名前後だが、本日はこの時点で4000名を超えた。
関連キーワードでネット検索をかけると、僕のこのブログが84500000件中、何と上から第3番目にエントリーされている現況は、自身で信じ難い。
今、僕は神様の大いなる恵みと御加護の下、平穏で幸福極まりない生活を享受させて頂いている。
だが、一方でふと、今のこの平穏な幸せが、幾ら永続恒久を僕本人が希求しても、実際の現実はそうな甘くはないと思うのだ。
それは、人類規模の災厄に巻き込まれる運命かも知れない。
ある日突然に、不幸や不運に襲われて天国から一転、地獄の底に転落するかも知れない。
だが、知的障害者の方が今回、「5.22ぐっちゃぐちゃ」と言っていた話に戻るが、僕はこれは地震ではなくて、来るなら未曾有の経済危機なのではないかと見る。
政治危機なら、もうとっくに今真っ最中ではないか(苦笑)
それでも霞ヶ関には世界一真面目で勤勉で優秀な中央官僚の方達がおられ、その政治危機を常に彼等が補完してるから、そう大きな問題にはなっていない。
だが、経済危機は、疾病で言えば脳卒中やクモ膜下出血の様に、ある日ある時に突然突発的に惹起される。
糖尿病や、齲蝕・歯周病の様に蓄積性の慢性疾患とは異なる(症状の進行過程はそれらに例えられる面も有るだろうが)。
その知的障害者の方は「3.11ゆ~らゆら」と言っていた、らしい。
その発言が事実であったとすれば、それは言うまでもなく東日本大震災を指した。
だが今回は、「ぐっちゃぐちゃ」と言っている。
何か、人智では回復や修復が非常に至極困難な混迷的状況の到来を予言している様に思えてならない。
その日は僕は既に香港に居るのだが、日本国では何が起こると言うのだろうか?
それとも、どこか他国で起こる事象を予言したものなのか?
皆で、平和を祈りましょう。
主イエス:「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。」
主イエス:「この世の終末に当たっては、逃げるのが冬にならない様に祈りなさい。」
主イエス:「最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」
僕は普段はテレビも映画もDVDも滅多に観ない。
だが、妻がたまたま借りて来たDVDでアメリカの映画を観たが、人類の終末的な未曾有の危機に際し、最後に人類が救済される為の重要なキーファクターを握っていたのは、あるアメリカの片田舎の小学生の集団の中の知的障害を持つ1人の子供だけが持つ特殊能力だった。
っと言う設定を、今思い出した。
僕が在校した小学校の時も、特殊学級と言われる知的障害を持つ子供達だけのクラスが存在した。
人間の目で見たら、誤解を恐れずに言ってしまえば、我々健常者に比べたら劣っている人間であると言う事になろう。
だが、そんな彼等は、実は神に愛されし特別の人間であると言う事も有って良いのではないかと思える。
いや、そもそも神様から御覧になった事実はそうであるかも知れない。
我々人間には、未来を見通す力など、これっぽっちも微塵も存在しない。
人間は、自身の明日をも分かる事は不可能だ。
こう言う期日指定の予言が、今まで的中した試しは1度も無いのだが、日本経済や我々の現代の地球文明が既に一部は破綻して存続不可能なしろ物である事は、優秀な科学者や学者ならとっくにご存知だ。
何も起きなければ良いのだが、やはり気になってしまうものである。
来年は、2012年
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来年は、2012年。
そう、以前から古代マヤ暦の終焉と共に、人類の滅亡がこの年に訪れるとの観測や噂は今でも絶えないが、とにかく早くももう来年は2012年である。
僕が想像する2012年とは。
こう言うのはオカルト雑誌「ムー」にて毎年恒例になっている易占学者や霊能者の皆様方による新年予想にでも任せた方が良いのかも知れない。
しかし、ここ日本国だけに限って見てみても、明るい兆しや見通しはほぼ全ての数字・指標を見る限りは絶望的だ。
ひょっとして、日本国の財政破綻は早ければ来年にも突然に訪れるのかも知れない。
それを完全に否定出来る経済学者やアナリストも存在しない。
来年2012年も、非常に困難な年になるのではないだろうか?
東北関東大震災の暗い影や爪痕も、未だ生々しく日本人の脳裏に刻み込まれている。
福島第一原子力発電所の事故の収束の見通しは、未だに立っていないのが現状だ。
復興庁は創設されたが、復興財源は乏しく被災地の完全復興はまだ遠い。
今、テレビやネットで財務省が盛んに広告を出している「復興国債」の購入を少し考えているが、まあ何もしないよりは良いだろう。
人類には、人間には、自身の自分達の未来や将来を見通す力は、残念ながら全く備わっていない。
であるので、未来を予測する事は基本的には不可能だ。
今の人類には明るい未来や展望は余り期待は出来ないのかも知れないが、僕は淡々と自分のやるべき事を毎日やり抜き、神様に生かされている事への感謝の内に日々を平穏に暮らすのみなのだ。