宇宙人ぶすおの真実の記録

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司馬懿

小倉美咲ちゃん行方不明・死亡事件の真相究明と全容解明を、今改めて心より祈る。5

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小倉美咲ちゃん行方不明事件発生から、既に丸3年間以上が経過しました。

なのに警察は依然、「小倉美咲ちゃんはキャンプ場現地で(滑落)事故死した。」とも未だ結論付けていないのです。

僕には現在、この点が最も大事で基本の重要ポイントの一つであると思えます。




現在、こちら側の我々は霊媒師様を含めて全員、主には警察(延いては当該の検察官様や裁判官様)に対して、かなり相当に苛立っております。

しかしちょっと冷静に想像を働かせてみれば、あちら側の犯人グループ達もこちら側の我々と同じく、今はかなり相当に苛立っているものと僕は推察します。


「警察はさっさと早く事故死と断定して記者会見して公表せんかい!殺人・死体遺棄事件である証拠なんて全く何一つ全然出て来んのだし、もう誰が見たって事故死しかねーじゃんかよ!美咲は滑落事故死したに決まってんじゃんか!警察はバッカじゃねーの!?ノロノロうすのろ精神薄弱児みてえに仕事が遅いわ!何しとんじゃ!さっさと事故死で断定して結論付けんと、今度は警察を相手取って名誉棄損罪の訴訟を提起したるど、この糞ババア!」


あくまで僕個人の想像に過ぎませんが、ざっとまあこんな具合にです。



つまり今この現在、こちら側もあちら側も、両者同じく主には警察の皆様方に対して、非常に強い苛立ちと焦りを覚えているのです。




ここで僕が指摘した、「非常に強い焦り」とは?


こちら側:「このまま警察はひょっとしてもしかすると、美咲ちゃんは(滑落)事故死したと結論付けて断定してしまうのではないだろうか!?まさかもしそんな事にでもなったら、その時は我々の全面敗北だ!」

あちら側:「警察はひょっとしてもしかすると、この期に及んで美咲の死亡を殺人・死体遺棄事件と結論付けて断定して捜査を進めるのではないか!?まさかもしそんな事にでもなったら、俺達は全員一巻の終わりだ!」







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ここで僕から三国志の超有名シーンを引き合いに出させて頂ければ、五丈原の戦いにおける魏軍最高司令官:司馬懿の様な極めて落ち着きの有る冷静さ、忍耐我慢強さ、そして長期的戦略眼が、今正にこちら側の我々に最も必要なものであると僕は思うのです。


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(最も僕は司馬懿の最大のライバルである、蜀漢帝国丞相殿の諸葛亮の大ファンではありますが)

魏軍最高司令官:司馬懿は対峙する蜀漢軍最高司令官:諸葛亮から度々挑発を受けて、苛立った部下の将軍達からは度々開戦の突き上げを激しく喰らいながらも、最高司令官たる己は常に冷静さを絶対に失わずに、一切全く動ぜずに自らも全く動かず、従って魏軍全軍を微動だにさせず、じっと耐えて堪えてただひたすら待ちました。

そしてその結果最終的には、とうとう遂に真っ先に尽きてしまったのは司馬懿の忍耐ではなく、蜀漢軍の兵糧でもなく、諸葛亮の寿命なのでした。

こうして司馬懿は両国のその後の命運を決定付ける、極めて重要で圧倒して巨大な不戦勝を、遂に全く動かず戦わずして得るに至ったのです。



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ですので五丈原の戦いにおける極めて優秀な司馬懿閣下の様に、我々もかく在りたいものだと、僕はいつも独りで妄想しております。



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霊媒師様を初めとするこちら側の最終勝利獲得を、僕はいつも常に主イエス様に心より祈念致しております。






僕等の最初の統一国家である邪馬台国と、最初の王様(女王)の卑弥呼様

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邪馬台国の女王・卑弥呼の墓の最有力候補として注目される奈良・桜井市の箸墓古墳で20日、専門家らによる初めての立ち入り調査が行われた。
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今回、許可されたのは古墳のすそを1周歩きながら、表面を観察するだけだったが、所々に土器などが散らばっている様子が確認でき、この古墳が築かれた年代の研究に役立つという
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我が国最初の統一王朝とされる邪馬台国(やまたいこく)。
その女王:卑弥呼(ひみこ)が、今再び注目を集めている。
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この写真は女王:卑弥呼に扮した若い女の子達のコンテストの入賞者なのだが、僕はこの話題に触れる時、常常不思議に思う事が有るのだ。



そもそも、我が国最初の統一王朝に関する記録が、余りにも残されていない為、現在でも邪馬台国の所在や、それどころか女王:卑弥呼の存在さえ伝説的である。
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では、その存在を伺わせる記述や記録を何処に求める事が出来るのか?

それは、お隣の中国の歴史書「三国志」の内の「魏志」つまり、今から1800年も前のお隣の国の正式な歴史記録(著述者は陳寿)に頼るしかないのだ。



この事自体、実に不可思議だろう。
我々日本人は、何故自分達の歴史の発端の重要な記録を、他国に頼らなければならぬのか・・・??

お隣の歴史書には、実に数百人以上にも上る武将の記録が、その詳細な行動ばかりか氏名や人物像や性格までが著述されていると言うのに、我が国には今となっては邪馬台国やその最高統治者であったはずの人物の記録は、全く存在しないのだ・・・。



つまり三国志の内の、三国の内最も強大な権勢を誇った魏国(ぎこく)の歴史に付いて著した計30巻に上る「魏志」の中の、「東夷伝倭人之条(とういでんわじんのじょう)」に、我が国最初の統一王朝である邪馬台国とその女王である卑弥呼に付いての記述を、やっと求める事が出来るのだ。

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※我々が中学校の社会科の教科書で習った「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」と言う呼称は、実は正式名称ではなく通称名に過ぎない事を付記しておく。
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これは、我が国のNHKのテレビ放送の人形劇ドラマ「三国志」にての覇王:曹操(そうそう)。
劇中でも、後半場面では側近や部下からは「魏王陛下(ぎおうへいか)」と呼称されていた。
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そして魏志の東夷伝倭人之条に拠れば、中国が1800年前に三国鼎立の乱世を迎えていた頃、日本(倭)では、「倭国大乱」と呼ばれる戦乱を治めるべく、邪馬台国の女王:卑弥呼を共立して30余の国々による連合政権が成立していた。

卑弥呼は宮殿に籠って「鬼道(きどう)」と呼ばれる卜占を行うシャーマン(神官)の様な存在で、卜占の結果を伝えられた彼女の弟が政治を執行していたとされる。
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魏の司馬懿(しばい)が遼東地方を制圧した翌年の239年、狗奴国との対立を深めていた邪馬台国は、魏の後援を得て連合政権内の基盤を強化する事などを目的として、帯方郡に大夫の難升米(なしめ)らを派遣。
その後、難升米は魏の首都:洛陽まで赴き、魏の明帝(曹叡:そうえい→曹操の孫に当たる)に生口(せいこう:奴隷)と斑布(はんぶ:麻の布)を献上している。

この時、明帝は難升米に金印紫綬や銅鏡を下賜した他、卑弥呼に「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号を与え、邪馬台国の後ろ盾となった。
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っとこんな所だが、不明で謎で分からないからこそ、後の世の時代の我々の様々で色々な想像を掻き立てる壮大な歴史ロマンと言った夢の有る側面も、この話題には大いに有ろう。


我々日本人の始原や原初、或いはルーツと言ったものに、僕はキリスト教やバッハ音楽やルネッサンス絵画などのキリスト教文化である西洋文化への傾倒を経てブーメラン的軌跡や螺旋状の回帰とも呼ぶべき思索的経路を辿って着地した。


そんな気が自分でずっとしているのだ。





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