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この真冬の季節、鍋料理こそが我々日本国民の幸福行為そのものだろう。

僕は鍋料理は、何でも大好きだ。



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グツグツと良く煮込んで、皆で突っ突いて喰いまくろう。




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そう言えば僕は、大学生時代に仲の良い皆で鍋料理をしている最中の事を、ふと今思い出す。



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当時その楽しく和気藹々とした鍋料理の真っ最中に、クラスの皆から嫌われていた(だが現在彼は、多大な成功を収めている)A君の話題になり、「そう言えばA君も、『鍋やるなら俺も呼んでね!』と言ってたけなぁ。」、するとその席にいたB君が、「ぁあ良いですよ!A君が来るなら僕は直ぐに帰りますから(笑)」




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つまり鍋料理は基本的に、日頃普段から仲の良い間柄の人達でしか催せない食事イベントであると言い換えられるかも知れない。



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皆さんもどうか今一度、想像して見て欲しい。

鍋料理の輪の中に、自分が日頃普段から内心嫌っている人物が参加するとなれば、気分は一気にダダ下がりと言った所ではないだろうか?



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鍋料理大好きなこの僕も、嫌いな人物が臨席する中での参加は、基本的に考えられないし想像出来ないし、有り得ない。



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大のコンパ好きで会食大好きだった社交家の一面もお有りの主イエス・キリスト様も、御自身が嫌ったユダヤ教右派のパリサイ派やサドカイ派の人物達と、美味しい食べ物や葡萄酒を囲ったと言う聖書の記述は、全くではないが余り見当たらない。



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やはり鍋料理は、親しい友人や家族同士で楽しむ尊い幸福で幸せな食事会なのだろう。


鍋料理は料理方法や調理法としては原始的だとは思うが、そこに食事と言うイベントに対して、我々全人類にとって始原的で根源的な深く大きな意味を、改めて見い出せるのかも知れない。




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