宇宙人ぶすおの真実の記録

穏和な日常生活の風景。 幸福。 幸せ。 心の安定。 精神の充足。 心の平安。 愛情。 愛と調和。

死にたい

春の憂鬱

tc4_search_naver_jp
tc1_search_naver_jptc3_search_naver_jp









春:SPRING
これを今お読みの皆さんにとって、春はどんな季節でしょうか?


僕にとっては大好きで愛して止まない桜の樹が遂に開花し、それは「愛」、「幸福」、「平和」、「日本国」と言ったポジティブなキーワードばかりが連想される歓びと楽しみの季節と言う事になっている。


だが、つい昨日、職場で女性職員達の会話から漏れ聞こえたのは、「春は憂鬱な季節」と言う意見が有ったのだ。
聴けば「花粉症で全てが台無しになる」とか言ってた人も有った。
可哀想になぁ。

だが中には、「毎年春がどうにも気が晴れなくて、仕事で外回りで車で1人で走っていても、何だか悲しくなって来て泣きたくなる。桜の花も、確かに綺麗なんだけど、見てるととても悲しみを覚えて仕方ない。」
との意見を持った人も有った。

俺には正直、春と言う季節をネガティブに捉える方達の心情や気持ちや真意はかなり分かり兼ねる。


そこで、livedoorの検索エンジン(NAVER社提供)で「春 憂鬱」をキーワードに、統合検索と画像検索を掛けて見た。

その内の幾つかの写真が、上記。

そして、何方かのブログ記事にて興味深い記事が有った。
その記事に拠れば、月別の自殺者数が最も多いのは3月と4月の春の季節らしい。


何事に対してもそうだと個人主義者の俺は思うのだが、世のあらゆる物事や事象に対する感じ方など人それぞれだ。
そんなものどう感じて何を思うかなど、本来全く自由の筈である。

だが世の中には、また俺の趣味のクラシック音楽の世界では、病的なまでに感じ易い極めて繊細な感性を持った人達も実際存在するのだ。
そう言った人達の意見や主張にも、例え自分とは反対で相容れない様に見えても、僕は耳を傾けて行きたい。




2011年2月17日の記事だったので、つい3日前の記事だ。

↓↓↓

月ごとの自殺者数って多い順に3月→4月→5月なのだそうです。

春怖いです。

たしかに春のプレッシャーはすごいものがあります。

やはりバブル崩壊以降、春になるとフレッシュな気持ち!ウキウキ!というより、憂鬱な人が多いのでしょうか。

自分は常に憂鬱な人なので同じ気持ちですね。

春ってなにかと変化する人が多いじゃないですか。

それに取り残された人は落ち込むんですよね。

そんで落ち込んでる時に大抵怒られます。

自分でも思ってたことを繰り返され落ち込みます。

子供の頃は、そういう時に慰めてもらえることが少しは期待できるけど年齢を重ねるにつれ、その期待値はほぼゼロなります。

怒られる時期を過ぎると、無視され始めます、この段階で身内以外の人はストップします。

君子危うきに近寄らず方式です。

身内もずっと怒っていては疲れるので無視の割合が増えますが、それでも時々すごく怒ったりします。

長渕剛さんが何事においても無視するのが一番悪いってラジオで言っていたのを思い出します。

話を聞いてくれたり、怒ってくれたり、泣いてくれたり、みんな嬉しいことです。

相手には迷惑でしかないですが。

とくに自分は話を聞いてもらうことが大切だと思います。

人に話した時点で悩みの8割は解消しているというのは都市伝説ですが、心への負担はそれぐらい軽くなると言ってもけして言い過ぎではないと思います。

もっと深く話すと・・・

なにを言いたかったのかわからなくなってしまいました、きっと春が近いせいでしょう。

とりあえず、今の自分は治療してる歯以外の歯が痛くなっていてすごく落ち込んでいます。

歯磨いてるのに・・・(´□`。)



鬱、死にたい、自殺

tc4_search_naver_jpCASDRU1Qtc2_search_naver_jpCA1H2E6Q












tc3_search_naver_jpCAD50IBO






私自身、自ら死にたいと思った事は、取り合えず記憶には無い。
だが私の仕事柄、鬱病を患い抗鬱薬の服用を必要としていた方にはかなりの頻度でお目に掛かった。

イミプラミン(3環系抗鬱薬)やパキシル(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)がその代表だろう。
これらの薬剤の作用原理、生理活性機序は国家試験勉強の段階で叩き込まれたので知識としては知っている。

実際、私のある知人は、もうここ最近10年以上ずっと鬱病だ。

俺は鬱病にはなった事は無い。
実際、性格診断テストか何かでも、「あなたは鬱病にはなり難いタイプです。」と出た。

鬱病は、なった人しか分からない地獄の苦しみなのだろう。


何故、地獄だと言えるのかと俺が思うのか。
何故ならば、先ず総ての生きとし生ける生命体は、細胞内の電子顕微鏡レベルでまで、生きよう生きよう、病気を治そう治そう、是が非でも生き延びよう生き延びようとするものだ。

だが鬱病に罹ってしまった人は、もう死にたいとばかり考え続ける。
僕は私は、自分はひたすら死にたい、死ぬしかない、と。
最早、思考が生命存在の根源的かつ絶対的方向ベクトルとも言える生への希求と走向性に真っ向から逆行する異常な逆転現象と言う他無い。
それが証拠にか、鬱病患者の食欲や睡眠欲、そして性欲までもが異常に減退し、まず食物が摂取出来ない、したくない。夜全然眠れない、つまり不眠。性的な欲望も覚えないと言う症状を呈する。

皆さんも既に御存知の通り、食欲・睡眠欲・性欲は人間の基本欲求。
これらが全て総じて著しく減退すると言う事は、その人間、つまり鬱病患者は生命力そのものが著しく危険水域にまで減退していると言わざるを得ないだろう。
そして、元来、生命体として生を希求する正常状態が、自らの死を希求すると言う異常状態に陥る。


日本国は今や3万人以上もの人間が毎年自殺して自らの命を絶つ。

その人達がそうなる前に、未然に防ぐ手立ては無かったのだろうか?

それには周囲の人間が、そのサインや兆候に少しでも気付いたら、救いの助けの手を差し伸べる事が先ず先決なのではないだろうか?
鬱病に陥ってしまう前に、気落ちして沈む友人に温かい言葉を掛ける、取り合えず話を最初から最後まで遮らずに傾聴する。

出来る事は何かしら有るだろう。

でなければ、自殺者数はこの先一向に減っては行かないだろう。

僕のブログ記事を検索して下さい
読者の皆様からのコメントです
月別の過去記事ファイルです
これは匿名の目安箱です

僕に対する批判・非難、延いては脅迫・恫喝・罵詈雑言等、万何でも受け付けております。

名前
メール
本文
極簡単な自己紹介です

エリア467

お酒も煙草も浮気もギャンブルも全くやらない、日本の地方に住む中年男性です。

キーワードの嵐です
スマホでどうぞ
QRコード