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ここいらの地域では今日も朝から御祭りの様だ。
朝から、何処からともなく太鼓のリズムと掛け声が聞こえる。

それらに接しながら、何時もの様に休日の団欒を妻としながら、お互いの小さい頃のお祭りの思い出の話になった。
聞いてみれば何と妻も、小さい頃は深川(東京都江東区)でのお祭りでお菓子を袋一杯に貰えて嬉しかったのだと。
何と妻は、しばしばテレビ報道もされているあの浅草の三社祭にも参加していたのだと・・・!ちょっと驚いた。
夫の俺は楽器と音楽の街:H市にて小さい頃はお祭りに参加し、やはりお菓子を沢山貰えた事がとても嬉しかった事はとても良く覚えている。

初めて耳にしたのだが、義父も若い頃はお祭り大好き人間で深川で良く御神輿を担いで威勢良く祭りに参加していたらしい。

考えて見れば、クリスマスだとかハロウィンだとかイースターだとか謝肉祭だとか、復活祭だとか聖霊降誕祭だとか聖母マリア感謝祭だとか、欧米のお祭りもまた全てキリスト教起源だ。

と言う事はKINTA様も仰って下さっている通り、お祭りは全て神事と言う事になる。

それは我々人間と言う生き物が、日常普段の日々の生活の中で感じる楽しみや喜び、また悲しみや辛さと言ったものは全て神様との関係性において裏打ちされて存在するものであり、こうして定期的に神様を奉ろう事がそのまま文字通り祭る事に繋がっていて、やはり人間は神様との交わりの中でしか本当の喜びや楽しみや幸福を見出す事は出来ないのかも知れないと、外で木霊するお祭り練り隊の掛け声や太鼓の音を聞きながら、ちょっと思った。

だが実際の俺自身は、小さい頃から非常に内向的で根暗な人間であり、自分自身がお祭りに飛び込んで参加して弾けてハッチャける事は、実は余り得意ではないのだ。