宇宙人ぶすおの真実の記録

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神様の愛

【CD60】《ドイツ・バロック・カンタータ集》、を聴き終えた!5

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【CD60】《ドイツ・バロック・カンタータ集》

1) ブクステフーデ:カンタータ「イエス、わが喜び」BuxWV.60,
2) J.S.バッハ:モテット第3番「イエス、わが喜び」BWV.227,
3) J.S.バッハ:カンタータ第81番「イエス眠り給いて、われ何をか望むべき」BWV.81,
4) J.S.バッハ:カンタータ第180番「装いせよ、おお愛する魂よ」BWV.180,
5) テレマン:カンタータ「装いせよ、おお愛する魂よ」TWV 31: No. 9

ステファン・マクラウド(指揮), リ・アンジェリ・ジュネーヴ[録音]1990年



僕のこのVivarte Collection Vol.2<完全生産限定盤>の、実にCD60枚にも及ぶ膨大な音楽鑑賞の旅も、遂に終わりを迎えた。

僕は特に音楽の父:Johan Sebastian Bachの音楽、とりわけ教会カンタータを好む。
そんな所へ、締めはドイツのバロック作曲家達のカンタータ集と来たもんだから、まぁ何と気の利くboxセットだ事。

他のサイトで、本アルバムだけで3000円以上の価値が有ると仰っておられた方がいらしたが、成程、このCDを新品単体で買うと、2600円以上もする。
それが紙ケースとは言え、70円以下で買えたとは、僕は何と幸運ラッキーな男だろうか。


っで、肝心の本アルバムの鑑賞後の感想は。

ずばり、皆様にも強くお勧めする。
何と美しく清澄で心洗われる楽曲と演奏だろうか。

聴くものの心に強く、かつ優しく訴え掛ける事は、何もキリスト教徒に限定は全くされずに、その対象は全人類規模だ。



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誰しもにとって人生は、艱難辛苦の連続だ。

それはキリスト教徒の僕に言わせて頂ければ、人祖神のアダムとイブが創造主たる神様を信じずに悪魔を信じた行動選択肢を採ったばかりに、人間は不老不死ではなくなり、あらゆる苦しみを報酬として地上で生存する事を許可されたと理解する。




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そんな人生の大いなる艱難辛苦や悲哀に直面し苛まれる人生の厳しい時期に、こうした西洋音楽の宗教声楽曲が、大いに心の慰めや励みになると言う方は、この現代でも全世界中に存在する。




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人は音楽から魂や心の糧を得る。

それは何も、クラシックと言うジャンルには全く限らないだろう。




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我々人間は常に、音楽と共に在り続けて来たし、これからも在り続けるだろう。




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人生の深い苦悩や悲哀に嵌まり込んでしまい、人生のあらゆる理不尽に悩まされて苦しめられて、もう脱出する事は到底不可能ではないかと思える程に沈み込んでしまった時に、本音楽アルバムを購入して御自宅で静かに傾聴してみて欲しい。




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何かきっと心の内に、一筋の一条の光が差し込む事を、魂と心で実感出来る事は、この僕が請け合う。



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現在45歳にもなる僕の人生も、これからの人生でもまだまだ数々の困難や艱難辛苦、悲哀や絶望を感じる場面に遭遇する事が度々有るだろう。




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そうした時にも、僕はまた相変わらず数々の珠玉の宗教声楽曲のCDに手を伸ばし続けるだろう。






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っと言う事で、今この本ブログ記事をお読みになって下さってらっしゃる貴方様にも、このCD60枚のboxセットを心よりお勧め申し上げます。

値段に比較して中身が、余りにお買い得過ぎる内容だからです。


以上を以て、Vivarte Collection Vol.2<完全生産限定盤>の鑑賞後の感想レビューの結びとしたい。



天国と地獄が入り混じった研修時代

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僕の研修時代・・・。


今思い出しても、これまでの人生で俺が全然出会った事も無い様な人間達との出会いが齎した地獄の様な人生史上初の恥辱と憎悪に満ち満ちた最悪体験と、俺の今後の残りの人生において一生涯お付き合いをさせて頂くであろう素晴らしく尊敬申し上げる人物との奇跡的な邂逅の両極端を経験・体験した。


研修時代は、俺はドでかい失敗を幾つもしでかした。


だがその度に、家族・肉親のこの上なく温かい支援や寛大な配慮や、本ブログのメインコメンテーターを実にもう6年程前から善意で務めて下さっているKINTA様の深い人生経験に基づく洞察と慧眼、広い視野と温厚な御助言に諭されて、今は無事に研修を終えて常勤の正職員としてこうして日々忙しくさせて頂いている。


KINTA様も度々この僕に諭して下さって居られる様に、失敗から学んでそれをプラスに生かす事が肝要なのだろう。


僕は本当に愚劣な人間で、同じ失敗を重ねる事は好きで得意なのだが、失敗から学んで向上している自信はと言うと、実は殆ど余り無いのだ。



だが、失敗を重ねながらも前向きに諦めずにがむしゃらに研修をしていた所、やはり思いも掛けない所から思いも寄らない方から本当に温かい一生の御恩義の支援を賜り、またその研修施設にては前述した様な一生涯共に支え合って学び合って高め合って、向上し合える掛け替えの無い人物との運命的邂逅に遭遇した。


人生と言うものは、つくづく分からないものだ。


失敗が更なる大失敗を呼び込み、もう駄目だと夫婦で諦めた所に、思いも寄らない救いの手が差し伸べられて、其処で更なる夢にも思わぬ幸運に巡り合う。


人との出会いや邂逅は、人の人生を良い意味でも悪い意味でも大きく変える。


これまでの人生35年間を振り返って見ても、結局最終的には一体何が幸運で何が不幸なのかは、最後まで分からないのではないかと思う事も実際多い。


失敗が有ったお陰で、新たなる素晴らしい幸運に巡り合い、出くわす。



だが外面的に見たら、俺と言う人間は余り変わっていないと自分で思うのだ。
良い時も、悪い時も、妻の手料理を食べて、妻の入れてくれた風呂に入り、妻と相談し語らい、また早朝には祈りの内に聖書に触れ、静寂の内に神様と語らう。
そうして変わらぬ日々が淡々と過ぎ去っていく・・・。



こうして失敗を重ね続ける愚か者の代表格のこの俺でも、毎日こうして神様に幸福の内に生かされて、確かに神様の大いなる愛の中に包含されているのだと感じるのである。





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