宇宙人ぶすおの真実の記録

穏和な日常生活の風景。 幸福。 幸せ。 心の安定。 精神の充足。 心の平安。 愛情。 愛と調和。

タグ:聖母マリア

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どうやら、普段から僕のブログを愛読してくれている親友達の間でも、僕の職場の職員さん達の間でも、この「不思議のメダイ」が最近話題になっている様で、色々な形で問い合わせを受ける様になったので、これに付いて僕から再度補足・加筆したい。



この不思議のメダイに関して、有名なユダヤ人資産家のアルフォンス・ラティスボーンの回心を紹介したい。
ラティスボーンは、神だとか宗教信心を否定する無神論者であった。
彼が信じるのは、お金とか資産とか富だったのだろう。

それがある日、カトリック教会の関係者の知人から、この不思議のメダイと短い祈りの冊子を配られた。
最初は彼は受け取りを断ったのだが、半ば無理矢理に不思議のメダイを首に掛けられてしまい、1ヶ月間だけメダイを首に掛けて祈りを唱える事を渋々約束させられてしまった。

約束の1ヶ月の最後の日。
彼は急に無性に教会に行ってお祈りをしたくなったのだと言う。
そしたら、その教会で聖母マリア様が美しいお姿で彼に出現し、彼は大変な感激を受けて、その場で受洗(洗礼を受けてクリスチャン:キリスト教徒になる事)を決意。

後に彼は、有り余るお金や資産を全て寄付し、自身は何とカトリック司祭、つまり神父さんに成ってしまう。

そして自身の母国であるイスラエルに帰国し、キリストの教えを人々に伝えて行き、天に召された。




また僕が見たには、2ちゃんねるの該当スレッドにても、それまで神様だとか宗教だとかには全く興味無かった友人が、この不思議のメダイを身に着けていたら、本当に受洗してクリスチャンになっちまいやがったと周囲を驚かせていた様だ。



こうした不思議のメダイによる「回心の恵み」は、しばしば良く語られる事だ。



またブラジル大統領の息子さんは、飛行機事故に遭遇した時、大破した飛行機の中で、気が付いたら不思議のメダイを握り締めていて傷一つ負わずに、暫く呆然と立ちすくんでいたらしい。





次にここに、親友が聖母マリア様から受け取った確かなお恵みとして、前回の記事に書き加えたい。

親友は、20代の若い頃は、いわゆる風俗店とかによく通っていた。
しかもサービスを受けるその際には、避妊具の使用とかそう言う事は全く無頓着に遊びっ放しに遊んでいたのだから、今考えれば我ながら実に愚かしい。

そんな浅はかな行為に溺れている最中も、首には常に不思議のメダイが掛かっていたのだが、結果的には親友自身は性病だとかそれに類する疾患に罹患した事は、本当に今までただの一度も無いのだ。
エイズ検査もB肝検査もC肝検査も、ヘルペス検査も全て陰性。

あれだけ避妊に無頓着に遊び狂っていたのにも関わらず、そうした病気には全く罹らなかった事は、今振り返って見ても驚きだ。

その同時期に、今でも仲の良い大学時代の同級生のA君は、やはり当時から、今でもソープランドやファッションヘルス等の風俗店愛好家なのだが、大学時代の当時のある日、手に正体不明の紫色の不気味なボツボツの出来物が急に拡大した時が有ったのだと言う・・・。
恐くなって当然、直ぐに医者に行ったらしい。
A君は親友とは違って、風俗遊びをする際にもちゃんと避妊具を使用していたはずなのだが・・・。

親友の場合は、肉体の欲望に溺れる罪を、有り難くもマリア様がお赦しになって下さった上に、ちゃんと護っていて下さったのだろう。
そんな親友は、今では風俗店とかキャバクラだとかそれに類する様なお店には全く行っていないし、行こうとも思わないらしい。

A君は今でも僕のブログをdocomoの携帯電話から愛読してくれている様だが、彼の興味の対象は「相続税を節税出来たと書かれていたが、具体的に幾らの資産をお前は相続したのか?」とか、相変わらす世俗的で物質的な事にばかり強い興味を抱いておられ、肝心の不思議のメダイの聖母マリア様を信じるだとか、聖書を読んでみるとか、そうした精神的・宗教的な事や物には、残念ながら懐疑的でほとんど全く興味を示してくれない。





この11年間、入浴中も就寝中も24時間ずっと僕の首に掛かっていた不思議のメダイ。
最初から数えて3個目の御メダイ(おメダイ)だったのだが、実を言うと1週間ほど前から僕の首には掛かっていないのだ。

先日、妻と親父と3人で行った寸又峡温泉:ホテル アルプスでの夕食の席上での親父との会話を紹介したい。

完全炭火で本当の囲炉裏を、妻と親父と3人で囲んで鶏肉やら蛸足やら五平餅やらを焼きながら楽しく美味しく頂きながら、こんな会話になった。


親父:「あれ?お前、いつも首にしてるメダイが首に掛かっていないじゃないか。どうしたんだ?」
僕:「あぁ、実はね、数日前にCさんに宜しかったら是非これを首に掛けて見て下さいと、今は貸していると言う形なんだ、今はね。でもね、俺としてはもうCさんに譲渡してしまう、差し上げてしまうつもりでいるんだ。駄目かな?」



僕が最後に身に着けていた御メダイは、ヘッド部分が1000/1000Platinumつまり純白金、純プラチナである事に加えて、鎖部分は850/1000Platinumつまり85%プラチナ製。
花田種彦さんが、聖母マリア様にお喜び頂けて、かつ購入者の方に一生お使い頂ける、また購入者本人のみならず親子や世代を超えて代々ずっと使用し続ける事が出来る最高品質の御メダイをと言う理念の下に謹製した御メダイ。
普通はヘッド部分だけがプラチナ製で8万円だったのを、親父は花田さんへの注文電話の場でワガママ言って鎖部分もプラチナ製にしてもらった。そしたらお値段はジャスト10万円(消費税込み)と言う事で承ってもらえた。
僕はその場では購入予定は無かったのだが、親父は「この際だから、お前の分も注文しろ。」と計20万円を気前良く現金一括払い。
「では、しっかりお恵みを受け取って下さいねっ!!」、と電話の最後に花田さん。
直ぐに郵送されて来て、直に手元に取ってしげしげと見詰めてみたのだが、やはり間違い無く、花田さん謹製の御メダイは、現在世界中に広く行き渡り出回っている数百種類の御メダイの中でダントツ群を抜いて最高に繊細で精巧な造りをしている。
ただし当然、お値段の方もダントツ最高価格だ。
花田さんに拠れば、太平洋戦争以来の友人の方に鋳物職人の方が居らっしゃり、その方に作製を主に依頼したのだと。



僕:「人に上げてしまう前に、買ってくれた親父の許可を得ようと思ってね、今言ってみたんだ。」
親父:「そんなもの、お前の好きにするが良いさ。」


俺はずっと不思議のメダイを身に着けているのだが、実は2年程前から、祈りの中で奇妙な違和感みたいなものを感じていたのだ。
自分自身で最初、俺はそれが何なのか分かりかねていたのだが、徐々に俺の心の中で答えが分かり始めて来た。


僕:「父さん、あのさぁ、俺は今まで不思議のメダイをしていて両手に抱え切れない位の数限り無い大きなお恵みを沢山賜って来たと思うんだ。最初は高いと思ってた10万円の値段なんてとっくに元なんか取っちまった上に、お釣りが万札の札束になって天からバサバサ降り注がれたって位に、俺は恵みを受けまくったと思うんだ。」


ここで親父は笑った。


僕:「だけど2年程前から、何か違うのかなってね・・・。だってさ、俺は父さんや祖父さんのお陰で、そもそもこんなにも恵まれた家庭に生まれ育った。ちゃんと両親も居て、家族はほぼ円満で、大きな広い家も高級車も当たり前に有って、可愛いペットも常に沢山居て、親子で仲が良くて、いい歳してやっとこさ親離れして独立後もこうして親父にいつも費用を出して貰えて贅沢な旅行は頻回で、(目の前に居る妻を指差して)そしてこうして素晴らしい妻を得て、その妻ともオレやオレの両親は仲が良くて、妻の御両親とも俺は仲が良くて円満でってさ・・・。これって、俺は余りに恵まれ過ぎているのではないかな、ってね。もう2年程前から何となく思ってるんだよ。俺はこんなにも恵まれている上に、まだこれ以上何か神様やマリア様にお願い事をしようなんてさ・・・。それはちょっと贅沢言い過ぎてるっつーかさ・・・。だって世の中見てみろよ、震災で愛する家族や家を突然失って悲嘆に暮れている人は大勢居る。ちょっと見渡すだけでも、旦那さんと全然上手く行っていない主婦の方とか、義父母とギクシャクしながら忍耐して家庭生活を営んでいる方とかさ・・・。そう言う人達を目にしちゃうと、自分ばっかり良い目に遭うなんて、何だか気が引けるんだよね。」


親父は穏やかに微笑みながら、黙って長男の俺の言い分を聴いていた。


僕:「実は最近、Cさんがね、大きな家庭の問題を抱えていらっしゃるらしくて、普段は明るくて元気なCさんが最近えらく沈んでいるんだよね。不眠の症状とかも出てて睡眠薬飲んでるって言う話だし。体調不良とか言ってここ最近急に職場を休みがちになっているし。そこにKさんが不思議のメダイの愛用者だって事が判明してさ。俺はふと思ったんだ、だったらいっそ、Cさんが承諾してくれたらの話なんだが、この俺の不思議のメダイを首に掛けてもらって、今度はCさんに今直面していらっしゃる人生の危機を乗り切ってもらって、幸福や幸せになってもらおうってね。かつて俺が聖母マリア様にそうさせて頂いたのと同様にね。」


妻と親父は、微笑みながら黙って俺の話を最後まで聴いてくれた。


親父:「お前が心からそう思えるのなら、それで良いんじゃないか?今度は自分のお金でメダイを買うと良いのかもな。父さんは首に下げると痛いから、自分のバッグに入れてるよ。」
そう言いながら、囲炉裏で食べ物を焼きつつ、自分の鞄の中を確かめていた。



この「不思議のメダイ」は、信者・未信者問わず、誰でも身に着けて信じて祈りさえすればお恵みを頂けると聖母マリア様御自身が保証なさった。

だがこうした宗教関連の事物を毛嫌いする人も世の中には少なくない。
だから俺もCさんに対しては、決して押し付けであってはならないと注意を払っているつもりだ。

Cさんが、神様だとか宗教や聖書を信じる方かどうかは俺には分からない。

しかし、断片的に漏れ聞こえて来る様に、余りに理解の無い旦那さんとその両親(つまり義父母)との軋轢に苦しみつつ、愚痴も他人の悪口も一切言わずにいつも明るく元気に振舞い、周囲の誰にも甘えずに、1人で背負い込んで2人の子供を育てて頑張ろうとし続けるCさんが、俺の中古品で申し訳無いのだが不思議のメダイを首に掛けてマリア様に祈る事によって、これまで俺が与って来た数々の大いなる恵みに与る様になり、現在直面されておられる人生の大きな危機やピンチを無事に回避され、これまでは辛さや寂しさがどうしようもなく付きまとっていた家庭生活に光明が差して平安がもたらされ、幸福エンジンが遂に始動し、聖母マリア様の優しき御手により本当の幸せと幸福の彼岸に導かれる様に、切に願い、祈って止まない。



以前の記事にも書いた通り、俺はこれまで人生の決定的ピンチや致命的な危機を、幾度と無く救われてここまでやって来れた。
それら全てが不思議のメダイの御陰様であると断じるのは、それは本人の考え方次第でどうでも良い事なのだろう。
肝要な事は、そうして日々無事に生かされている事に対して常に感謝の念を忘れる事無く、神仏や大いなる存在に恵みやご利益を帰結させる事を忘れないで過ごす事なのではないだろうか??



囲炉裏での夕食後、部屋に帰り妻は俺に言った。
「ねぇ、そのCさんって方のフルネームを教えてよ。私、そのCさんって方の為に毎朝祈るから(^^)。」

いつもながら、素晴らしい心掛けをした妻を得たものだ。





おお聖母よ、原罪無くして宿り給いし聖マリア、御身に寄り頼み奉る我等の為に祈り給え、アーメン。













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紅い薔薇の花は、聖母マリア様の象徴とされている。


前回、「不思議のメダイ」に付いての記事を書いた所、職場や周囲の友人達に反響が有ったので、僕なりに加筆したい。

先程、KINTA様のコメントを拝読したが、いつもながら実に素晴らしい含蓄有るコメントを頂けたので、皆様におかれましてはそちらも参考にされて頂きたい。

そもそもこの「不思議の」と言う形容詞は、聖母マリア様の直接命名ではない。
マリア様は1830年の当時、修道女見習いのカタリナに出現し、このメダイの製造と配布を具体的に指示はした。

だがその後、デ・クエレン大司教閣下の正式許認可を経て製造・配布されたこの聖母のメダイは、それを身に着ける人々にそれぞれ大きな恵みや奇蹟を示し、噂が噂を呼び、いつしか人々はこのメダイを「不思議のメダイ」と呼ぶ様になった。


ここで僕はいつも思うのだ。
これは良く言われる事なのだが、この後もマリア様は世界中で御出現なさり、人類の未来予言を託したり祈りを託したりと様々な事を為さる訳だが、出現する対象の人間は、常にこうした人間の眼で見れば社会一般的には下の方に属する人々。

メダイの製造・配布を命じ、聖母自身の足の上に手を置かせてもらえたカタリナ・ラブレは、当時修道女見習い。
まだ一介の修道女にすら成っていない身分の、学歴もお金も資産も名誉も無い、そこいらの普通の少女だった。
当時、修道女見習いだったカタリナの仕事は、鶏小屋の鶏達に餌をやる事だった。

そんなカタリナに聖母マリア様は重大使命を授けた。
後にカタリナは死後に列聖された。


ポルトガルの寒村のファティマにて、聖母マリア様はド田舎の原っぱにて3人の当時年齢一桁の牧童達に現れ、人類の未来預言を託した。
ルチアとヤシンタと、後誰だっけ・・・??
兎に角、ただの無名のド田舎で暮らすガキンチョ3人だ。
この時与えられた預言は、後に世界中を揺るがし、世界政治にも関与し、今でも話題になっている事は御存知の方も多いだろう。



聖母マリア様の御出現は、常にいっつもこうだ。
人間の眼から見たら取るに足りない、社会的地位も身分もお金も名誉も家族も何も無い(この俺も同類)、ただの心素直な人間だけにお顕れになるのだ・・・。


俺に言わせれば、全世界に12億人もの信徒を持つ圧倒的な勢力を誇る世界最大の単一宗派「ローマ・カトリック教会」の最高裁治権を把持するローマ教皇に直接出現して、「おいちょっと、こんなデザインでメダイを造って配り歩いてくんないかしら?」とか「お前等、馬鹿もいい加減にしろ。キューバ危機とかやってたら破滅するぞ、このバカ人類どもめ。」とか何とかさ、パウロ6世様とかケネディ大統領閣下とかフルシチョフ書記長閣下とか、なんしょ当時の世界的大事件の関係首脳の人間に直接に出現してやって直接に言ってやれば効率的だと思うのだが・・・。


それは人間心で見てしまっているからだろう。
聖母マリア様が心より信頼される人間は、常に人目には地味で目立たない心綺麗な人間達のみだ。



前置きがつい長くなった。


今回は、僕が直接体験、或いは見聞きした「不思議のメダイ」による奇蹟体験を披露したい。

先ず、僕が所有する花田種彦さん謹製のメダイ。
奥様の花田温子さんにとてつもなく大きな奇蹟がもたらされた。

奥様は膵臓癌におかされ、その他不整脈等も併発。
担当医師は、「よくここまで放って置きましたね。奥様は余命3ヵ月です。」と憮然と言い放ったと言う。

それが・・・。

膵臓癌もその他の合併症も、完治。

膵臓癌が、完治・・・!!??

ここら辺の事情は、二見書房から刊行されている「不思議のメダイ」に詳しく包み隠さず書かれている。


先のブログでも書いた、僕と同じ花田さん謹製のメダイを所有(彼のは純金製)する内科医師のS先生は笑顔でこう仰った。

「大変申し訳御座いませんが、調べさせて頂きました(^^)。」
何と、医師免許の保有者は、他の病院の他の患者様のカルテを調べて閲覧する事が出来るらしい・・・(!)
いや、S先生の権威やお力がそれを可能にしたのか!?

「膵臓癌と言うのはですね、先ず基本的に治らない病気なんですよ。完治は先ず見込めません。しかし花田温子さんの場合は確かに膵臓癌が治っていました。それはカルテに記載されており、私も確認しました(^^)。」

花田温子さんは膵臓癌も合併症も完治。
その後、病室でそのまま、周囲の看護師さんやら患者さんやらに、この「不思議のメダイ」を説明し、配ったと言う。
これには担当医師もただただ驚嘆し、「教会には御夫婦で今でも通われておられるのですか?御夫婦でお祈りは為さるんですか?」
とか、医師らしからぬ問診をしてたらしい(笑)


だが、書籍にも書かれているが、それまでには花田さん御夫妻は大きな人生の艱難辛苦を経験されておられる。
「不思議のメダイ」を身に着けているとて、やはり人生の悲しみや辛さが無くなると言う訳ではないのだ。


その他は花田さんから直接電話で伺ったには、このメダイ購入者で、医学的に見たら絶対に再生しないはずの血管組織が再生して、血液循環が回復して一命を取り留めた人が居るらしい。


その他、子供の吃音が治ったとか、不和で喧嘩やいがみ合いが絶えない家庭に平和が訪れたとか。

この「不思議のメダイ」は、それを身に着ける人それぞれに様々な形で恵みを与えてくれるものの様だ。




さぁて、ここからやっと俺の話だ。
俺の「不思議のメダイ」の不思議体験アンビリィバボォである。
以下に列挙する。


① 人生初の好きな彼女が出来た。

② パチンコで勝ちもしないが、負けもせず、損失はほぼ無し。

③ 相続税等の税金対策が予想を超えて円滑に上手く行き、結果的には大いなる節税を成し遂げた。

④ その後の人生でずっと付き合い続ける運命になる親友と出逢えた。

⑤ 自分の欲望から罪を犯してしまい、それを相手方家族と悪徳弁護士から責め立てられ攻撃を受け、大学の学籍を失う可能性も発生したが、無事に解決。事無きを得た。多額の経費は掛かってしまったが、その後の人生における地位と収入に比べれば、微々たるものであった。

⑥ 自身の心の弱さから、刑事事件を起こしてしまった。大学の退学処分の可能性を教授から直接言われ、半分覚悟を決めたが、結果的には全くの無傷で済んだ。掛かった経費は最小限で済んだ。周囲の多大な支援も有り、その後、無事に大学は卒業した。これには広域指定暴力団:山口組の銀バッジ保有者(つまり幹部)の知人も驚いていた。

⑦ その後の研修にて、またしても自身の心の弱さと醜さから、刑事事件を起こした。結果的には周囲の多大な支援も有り、警察でもお咎めは全く無しの上に無事に事件は解決。

⑧ 僕の保有する国家資格の研修者は日本全国に2300人ほど居るが、研修を2度も失敗したのは恐らく僕だけ。その僕が、厚生労働省の担当官僚も驚く様な信じられない幸運に救われて、地元の研修施設にて最終的には無事に研修修了。周囲の多大な支援が有った事は言うまでも無い。

⑨ その最後の3度目の研修施設にて、僕の人生でこれまでに全く出逢った事も無い様な、一生涯を通じてお付き合いが有りそうな、心から尊敬出来る素晴らしい人間性を備えた方と出逢う事が出来た。

⑩ 全くお金に困らなくなった。お金が無くなりピンチになると、必ずどこからか誰かの助けや支援が与えられている。現在も。

⑪ 現在の、心優しき素晴らしい最高の妻を得た。妻と付き合いが始まったばかりの頃、僕が妻の車の中に置き忘れたメダイを、妻はケースに入れて保管してくれていた。そのケースは偶然にも、紅い薔薇の形状をしたケースであった。妻は、紅い薔薇が聖母マリア様の象徴である事を全く知らなかった。

⑫ 僕は深夜の決まって1:00~3:00の時間帯(丑三つ時、魔の刻)に、たまに途轍もなく死にそうな位の恐怖感に襲われて押し潰されそうになるのだが、このメダイの祈りを繰り返し唱えている内に、気が付くと熟睡出来ていて朝を迎えている。毎回だ。



僕の「不思議のメダイ」の奇蹟体験は、現在も連ちゃん継続中である。
幸福と幸せの笑いが止まりません!止まりません!!止まりません!!!



ネット掲示板の2ちゃんねるの該当スレッドにて、女性がこんな書き込みをされておられた。
「この不思議のメダイを身に着けていると、不思議と心が安らかな気持ちに包まれて、平穏な気持ちで居られます。」


そこへ我が親友O君から、メールが着た。
「不思議の雌鯛(これでメダイと読ませたいらしい)を着ければ、僕もズル剥けのピン勃ちになれるでしょうか?(原文そのまま)」


聖母マリア様のお恵みは、身に着ける人それぞれに与えられると言う。
だから、不思議のメダイを身に着ける人は、それぞれにお恵みの体験を語る事が出来るのだと。


現在、この「不思議のメダイ」を身に着ける人々は世界中に大勢居る。

その方達の残らず全員に、聖母マリア様から豊かに限り無く祝福と恵みが有ります様に、心から祈る。



おお聖母よ、原罪無くして宿り給いし聖マリア、御身に寄り頼み奉る我等の為に祈り給え、アーメン




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皆さんは、この「不思議のメダイ」を御存知だろうか?

最近では、モデルの梨花さんや辺見えみりさんが愛用している事で話題となった。


ちなみに、上記写真の内、ヒゲ面で眼鏡の神父様は、聖マキシミリアノ・コルベ神父。
生涯、不思議のメダイを配り続けて、ナチスドイツの強制収容所にて、死刑を言い渡された同僚の身代わりとなって死んでいった愛の殉教者である。
ちなみに彼を列聖した前ローマ法王:ヨハネ・パウロ2世様も、熱心なマリア信仰者。
この不思議のメダイにも認可し、バックアップの姿勢を明示されておられた。



詳細は、以下のホームページに譲る。

http://goseitai-to-seibo-no-sito.web.infoseek.co.jp/hushiginomedai-1.html





「この姿の通りにメダイを作ってもらいなさい。
   このメダイを身につける人は、特に首に掛ける人は、残らず大きなお恵みを受けるでしょう。 
      深い信頼を持ってそれを身につける者は、また特別に豊かな恵みに満ちあふれるでしょう。」

 1830年11月27日 聖母マリア様から聖カタリナ・ラブレ愛徳姉妹会修道女に与えられた御言葉





僕の首には、もうかれこれ11年程も前から、首にこの聖母マリア様の「不思議のメダイ」が掛かっている。

僕が現在所有し、首に掛けているのは、花田種彦さんが特別に製造・頒布している、純プラチナ製の最高品質のメダイである。
財務省造幣局の刻印が為され、1000分率で1000/1000Platinumである事が刻印されている。

花田種彦さんは、当時既にかなり御高齢でいらして、現在は御存命中かどうかは定かではない。

だが花田さんは、メダイ購入者全員に直筆の丁寧で心のこもったお手紙をお送り下さり、また併せてサービスなのか、綺麗な天使のカードやお写真やら、「ルルドの水」そのものを一緒にお送り下さった。



何故、今日になっていきなりこの「不思議のメダイ」の話題をブログで書く気になったかと言うと、昨夜、新人歓迎会が有ったのだ。
供された料理は本当に贅沢そのものの美味しいお寿司がテンコ盛りだったのだが、その席上、僕の目の前に座った職場の職員の胸に、この不思議のメダイらしきが掛かっていたのを目撃したのだ。
裸眼視力の悪い俺には、最初はハッキリ見えなくて苛立った。

それが「不思議のメダイ」である事を確認した。


すかさず、僕は自分の首に掛かっているメダイを取り外して前に開示した。


「え・・・!??、これ・・・、同じの・・・!!? え・・・!??」


僕は、実は今の職業に就く前は元神父志願者・牧師志願者である事をその席上で打ち明けた上で、「不思議のメダイ」に付いての講釈を相手に垂れた。

気が付けば周囲は全員水を打った様に静まり返り、俺に全員注目。

「し、シンプさんに!??ボクシさんになりたかったの・・・!!?」

職員達はお目目を真ん丸くして呆気に取られた表情で俺に注目。
他の職員も、まるで正体不明の宇宙人を見る様な目付きで俺を凝視。

聴けば、友人がフランス旅行で買って来てくれたお土産に貰ったのだと。



残念ながら、このメダイ特有のお祈りの文句は御存知無い様だった。



僕が大学時代を過ごした〇島県で、こんな事が有った。
日頃懇意にしている徳島市中心部の繁華街に在るショットバーのマスターが、ある人を紹介してくれた。
その人は学業成績が超優秀な方で、自治医科大学を御卒業された内科医師であった。


そのS先生との2回目の食事の際に、僕の胸元に掛かる「不思議のメダイ」を認めて、彼は御自身の首から全く同じ型の「不思議のメダイ」を取り出した。
やはり何と、あの花田種彦さんから購入したものだそうだ。
ただしS先生のは純金製の物であった。

購入後、やはり花田さんから御丁寧なお手紙を頂戴したらしい。

後日、S先生の自宅マンションに招かれた僕は、S先生が所有する聖母マリア様に関する分厚い書籍を数冊示された。


「我々人類の科学や文明と言うのは、常に夢物語や当時解明不可能な事を解明して可能にし続けて来た事で発展・発達して来ましたよね。ですからこう言うものを非科学的だとか、ただの宗教信心だと浅はかに断じてしまって切り捨ててしまう事の方が、むしろ進歩的ではない態度であると私は思っております。」




昨夜、Kさんの胸には、金色の綺麗な「不思議のメダイ」が似合って掛かっていた。

「Kさん、聖母マリア様から何かお恵みを頂けましたか?」
「えぇ・・・。そうですね・・・。自分が気が付いていない所でお恵みを頂いているのかも知れませんね。」

Kさんは柔和な笑顔で、僕の質問にこう答えた。


僕は既に抱え切れないほどの沢山の素晴らしいお恵みを賜って来た。
これからもきっとそうだろう。


だから、僕は祈る。
今回、東北関東大震災にて被災された方々に、復興への神様からの限り無い助力や支援、保護が与えられます様に。
また、今心傷付いて気落ちしている方や何等かの人生の大きな問題を抱えておられる方々に、聖母マリア様からの限り無い祝福と癒しが与えられます様に。


「おお聖母よ、原罪無くして宿り給いし聖マリア、御身に寄り頼み奉る我等の為に祈り給え、アーメン」

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職場の職員の方の手引きを受けて、最近引っ越してきたばかりのここいらのお祭りに昨日丸一日参加した。
朝8:30に地元の神社に集合、そこから夜の23:00程まで、こじんまりとだが中々に熱い田舎のお祭りは続いた。


普段全く見慣れない顔の男が山車の後ろから1人でウロウロ付いて来て、デジカメ片手にいきなりパチパチ撮りまくっているのを見て、O津(地名)の方達はさぞかし怪しみ訝ったのだろうが、朝一番のお祭り開始当初からしばしば話し掛けられ、ジュースやビールを何度も振舞われた。


俺は見た目と大違いで、お酒も煙草も全くダメな体質でビールは丁重に遠慮申し上げたが、でも初対面でそう言う温かい歓迎を受ける事は素直にとても嬉しい事だ。

お祭り役員の方々が入れ替わり立ち代りに全くの新参者のこの俺に話し掛けて来て下さり、ここいらO津のお祭りの歴史から最近の住まい環境、その他あらゆる四方山話を朝から晩までお聞かせ頂いた。


俺は元々は同じ県内の政令指定都市であるH市出身で、H市のお祭りのH祭りは全国的にそれなりに有名だ。
俺自身、長男で初子と言う事で凧を揚げてもらい、夜の練り隊に練り巻かれ祝福されて、当時1歳の俺は大口を開けて大泣きしていたらしい。

子供の頃からお祭りと言えば俺はH祭りしか知らないのだが、東京都出身の妻はテレビ中継も為されるあの浅草の三社祭(さんじゃまつり)に子供の頃から参加していたらしい。

夫婦のお祭り体験を合算してお話させて頂ければ、今回俺は生まれて初めて、本当の田舎のお祭りと言うものを目の当たりに出来た。

それは三社祭ともH祭りともかなり大分違う、田舎の長閑で鄙びた地域に特有の、確かに驚くほどに小規模だが、地域住民同士が親密に交わり合う良き風景を目の当たりに出来た。


山車(屋台)と言えば、俺はH祭りの屋台しか知らず、それは4輪でお囃子隊(女子児童が専門担当)全員が搭乗可能な結構大きな物だったが、O津の屋台(山車)は2輪でかなり小さい印象を受けた。
しかしこの小振りなO津の屋台も、製造着手は実に今から40年程も前で、当時はここいらは皆農家ばかりだったが、政府の減反政策により休耕田が発生し、それらを売却したりして資金を皆で出し合い、このお祭りの起点の八幡神社周辺から木材を調達し、この屋台が出来上がったのだと。
屋台の前進を前方に見ながら、長老さんは新参者の俺とゆっくり話しながら、「でもこうして今も若い衆らがその当時のわしらの精神を受け継いでくれてるでねぇ。」と目を細めておられた。


O津の屋台は小さいが故の小回りが利くらしく、「練ってぇ!練ってぇ!」の掛け声に合わせて垂直方向の体軸に対してツイストさせながら前進するのにも驚かされた。
こんな事してて屋上の人間が振り落とされたり、屋台内部に搭乗する人間が外に放り出されたりしないかと見ているこっちもハラハラさせられた。


俺が最初に印象的だったのは、屋台屋上に設置された茶娘の像だった。
茶娘が茶摘の格好スタイルで人形になって設置されていた。

後での長老さんのお話に拠れば、昔は隣町からレンタルしていたが1回のレンタル料金は15~20万円もした為、途中で何とかO津の住民達で自前で人形をこしらえたらしい。
それまでは将棋の王将を象った像やらを掲げていたらしい。

入れ替わり立ち代りで新参者の俺に御挨拶して下さった長老さん達は、また同時にうちら夫婦でのO津への引越しを歓迎する旨の発言をして下さった。

俺は新参者で部外者の分際で貰ってばかりでは失礼に当たると、気持ちばかりの寄付を申し上げたら、イキの良さそうなイカつい金髪の若者が「まぁどうぞドォゾ!一杯やってって下さいよ!」。

次に会計係様が現れて、「この度はどうも有難う御座いました。付きましてはお名前を頂けますか?」
俺は恥ずかしかったが、仕方無しに名前を名乗った。
そしたら寄付の旨を告知する張り紙が、俺の実名と共に大きく神社の側壁に張り出された。

そのせいか、見知らぬ若者から「Iさんでしょ?是非O津に奥様といらして下さい。」
いきなり名前で呼ばれて少々面食らってしまったが、こう言うのは俺は好きな性質だ。

俺は人情味に弱いのかな。
たった1日で、年一回の地域のお祭りに帯同しただけで、俺はこのO津の方達を、好きになってしまった。

お祭りはKINTA様も仰る通り、古今東西、世界普遍にやはり神事なのだろう。

これが欧州:ヨーロッパのO津と同程度の田舎、例えば聖母マリア様が御出現されたと言うボスニアのメジュゴリエやポルトガルのファティマ、また南フランスのルルドなど、それらの聖母マリア記念祭を見れば、このO津のお祭りとかなりの相似形を呈している事に気付く。

屋台や山車で地域を練り歩き、神の祝福に地域住民皆で共に与ろうとするのも全く同じ。
若者が踊りを披露し、子供が賛美歌や民謡を唄い、中高年がお祭り服に身を包みお酒を飲み語らうのも全く同じである。
そのお酒の中身が日本酒→ワイン、シャンパン、おつまみ→ピッツァ、プレッツェルにそのまま置き換わっただけだ。
屋台の上に掲げられた茶娘像→聖母マリア像、その像の周囲に飾られたお茶の葉→棕櫚の葉に、それぞれやはり置き換えられる。

実際昨夜のO津の祭りでも有った様に、酒が入ってヒ-トアップした日本の祭りの若者達が屋台の上から日本酒やビールをぶっ掛けブチ撒ける→若く威勢の良いイタ公やフランス野郎達が山車や屋台の上から、全くの偶然を装って心密かに普段から意識している女の子に向かって赤ワインやスパークリングワインをぶっ掛けシャワーかまして彼女らがキャアキャア言って逃げ回るのを見て面白がる。


つまり、お祭りと言うものはやはりその国その地域で信仰される神様に直接に因んでおり、その構図も極めて相似し酷似していると言えるだろう。


話は少し変わるが、ある人懐っこい長老さんの話が面白かった(笑)
「あれ?オタク、ここいらの誰かのお婿さん?見ない顔だねぇ。え?H市出身?わしも昔若い頃に6年間位H市に住んでたんだよ。あのT島町に金馬車(きんばしゃ)って名前のストリップ劇場が有っただろう。わしは若い頃に良く通ってたよ(笑)。」
「は、ハァ・・・!?T島町は僕の故郷の直ぐ隣町ですが、今はそんなもの存在しないと思いますよぉ!(2人で爆笑)」

「何れにせよ、アンタが夫婦でO津に来てくれるのならわしらは皆歓迎するよ。そしたらアンタら夫婦もわしらO津住民と家族身内同然だよ。またO津に来なさいね。」


田舎には田舎特有の良さが確かに有る。
人間関係が非常に小さくて狭い反面、それがプラスに作用すれば非常にフレンドリーで親密な人間関係が近隣住民と構築出来るのだろう。

だが、その田舎特有の狭小な人間関係が残念な事にマイナスに作用してしまい、逆に苦になってしまっている外来のお嫁さんやお婿さんは、このO津にも潜在しているのかも知れない。
一見笑顔でお祭りに参加し、お洒落に法被を着てキメて屋台や山車の上で掛け声を上げる参加者の中にも、そうした苦悩を人知れず抱えているのかも知れない。

だがそうして内心に不快な思いや嫌な気分を引き摺っている祭り参加者の心の内も、きっとそのお祭り対象の神様は御存知で居て下さり、その苦悩もやがては晴れて心の内が晴天となれる様に、目に見えない神様のお力で以って良き様に取り計らって下さっておられるのだろう。



昨夜のお祭りを、今こうして振り返って見てそんな気がした。



追伸:昨夜の楽しいお祭りの時間と同じ時刻に、大阪の秋祭りで悲しいニュースが有りましたね。
お祭りの際には気が緩みますので、事故には十分に気を付けましょう。
↓↓

10日午後5時20分ごろ、大阪府泉大津市春日町の市道で、だんじりをぶつけ合う秋祭りの最中に、同市の男性会社員(28)がだんじりの間に頭部を挟まれ、搬送先の病院で死亡した。
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