宇宙人ぶすおの真実の記録

穏和な日常生活の風景。 幸福。 幸せ。 心の安定。 精神の充足。 心の平安。 愛情。 愛と調和。

タグ:音楽文化遺産

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未曽有の大災害、東日本大震災。

本当に早いもので、あれからもう既に8年間もの歳月が過ぎた。



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僕が震災ボランティアで福島県相馬市の被災地にて少し交流を持った当時小学生の子供達は、今はもう高校生になって居るのだろうか?

どうか皆様、お元気でいらして頂きたいと切に心より祈る。




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人生や世の中は誰にとっても、救いの無い哀しみや大いなる矛盾と理不尽で満ち満ちて居る。



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このブログ記事を書いて居る今、僕の自宅のステレオからはJ.SBachのマタイ受難曲(レオンハルト盤)が流れる。



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レオンハルト盤はリヒター盤の様な劇性は無いが、総指揮者のグスタフ・レオンハルト先生は、静謐の中で1歩1歩祈り踏み締めながら歩みつつ、キリストの悲劇を描いた最高の音楽文化遺産の楽曲を、美しく神々しく、かつ淡々と進行させて行く。



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こうした音楽文化遺産の本当の価値と言うものは、矛盾と理不尽に満ちた人生の艱難辛苦に幾つも直面し、かつそれ等を乗り越えなければ、真には理解不可能な代物なのかも知れない。


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ここ地元の静岡新聞では、もう数日前から特集記事が組まれて居る。


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人々の記憶から風化され始めて居る東日本大震災は、被災者の方達にとっては一生涯決して拭い去る事の出来ぬ、決して埋められない巨大な魂の欠落を抱えつつ、あらゆる不便や困難と直面しながらも、今も必死に生きて居る。



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そしてこうした巨大な災厄や巨大な不幸や災難と言ったものは、この世の誰にとっても、得てして全く他人事ではない。


             
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ここ静岡県は、東南海トラフ連動型大地震は30年以内に襲来する事が、かなり高確率だ。



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政権は当時の民主党・野田政権から、現在の自由民主党・安倍政権に移り、更に一層強力果敢に、復興事業は着実に、確実に推進されて居る。




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だが僕に出来る事と言えば、出来る範囲内の僅かばかりの寄付と、神様への祈りだけだ。





                             

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THE BOOMの島唄。
ボーカルの宮沢和史さんの唄が、今思えばとても懐かしい。


最近ひょんな事で、僕はこの良い歌を思い出した。

常日頃から仕事でお世話になっているMさんがかつてその昔に、携帯電話の着メロがこの島唄だったのだと。


この歌は、本当に良い歌だと思う。
僕は普段鑑賞する音楽はバッハやモーツァルトを主にクラシック音楽ばかりなのだが、この歌はもうかれこれ18年来大好きだ。

確か、僕が高校3年生の時に発表された楽曲だったと記憶する。

僕はこの曲のシングルCDを、地元のCDショップに学校の帰りに買いに行った。

その時の女性店員のお姉さんが、妙にハッとさせる人だった事も何故か今でも覚えている。
この「島唄」のシングルCDを買おうと手に取り、傍らに居た同級生にこの曲の良さを訴えたのだが、その人の音楽趣味は俺とは合っていないせいか、「お前、趣味悪いよなぁ、こんな変な曲をわざわざお金出して買うなよぉ!」
貸してやるからダビングしろと言っても、笑われて断られた。

そんな僕と友人のやり取りを見ておられたその女性店員さんは、僕が商品をレジに持って行ったら、面白がっている風に僕を見詰めながら応対してくれた。


その後、この「島唄」は僕の心の名曲となった。


その後の人生において、カラオケに行く度にほぼ必ず絶対に僕はこの歌を歌う様になった。
上手い下手は別として。

そして高校時代に友人とカラオケに行っても、大学時代に行っても必ず「島唄」を歌い、そして居合わせた友人達の失笑を必ず買ったものだった。


僕は高校3年生の時は当然の様に大学受験に失敗し浪人し、3歳まで生まれ育った東京都に上京。
予備校生活が晴れて始まったのだが、そこで当の沖縄県出身の面白い友人と知り合い、僕がこの「島唄」が大好きである事を告げると、彼は教えてくれた。
「『でいご』って言うのは沖縄に咲いている花の名前だよ。それで『ウージ』ってのは砂糖黍(さとうきび)の事だよ。」

そして、愚劣な僕は大学浪人生活2年目突入と共に故郷に凱旋帰郷。
地元の予備校で同じ高校出身の顔見知りの知人達と共に、恥辱に塗れた大学浪人生活2年目をスタートさせ、同級生達は既にそれなりの高いレベルの大学にほぼ全員が合格を果たして既に晴れがましい新生活をスタートさせている中、いつしか僕は心の中に埋め難い孤独や隙間を抱える様になり、今でも自分の行動が信じられないのだが、と或る日、地元の繁華街の見知らぬ場末のスナックに独りでふらりと入った。

そして元々全く呑めもしないお酒を当然注文し、今でも不思議なのだが呑んでも全然酔わない、酔えない。
心に大きな孤独や隙間を独りで抱えていたからだと今でも当時をそう振り返る。


そこでカラオケを歌う様な雰囲気になり、当時19歳の坊やの僕にマイクが廻って来た。
僕はママに、この「島唄」を指定した。

そして狭く小さい店内に島唄のイントロが流れると、隣に居合わせたオッチャン客が柔和な笑顔になってくれて、「俺、この歌好きだな(^^)」

いつも孤独で、心が地べたを這い蹲る情けない、常に大きな不安に苛まれて孤独な、後にも先にも最低にカッコ悪い人生を送る事を余儀無くされていた青春真っ盛りの19歳の当時、人生の中のほんの一瞬の場面ではあるにせよ、こうして後々まで記憶に残る良い思い出に、この名曲「島唄」は極個人的にまつわるのだ。


僕は普段は、今から260年以上も前にこの地上世界に降臨した音楽の神が全人類に遺した音楽文化遺産を、最新のデジタル音声技術で再現された状態で繰り返し聴き、浸り、愉悦を感じて、癒されて、日々心や精神を支えて頂いている。

その神が遺した音楽文化遺産と同格に、この「島唄」は僕にとって心の歌であり、この先もずっと一生涯愛聴するであろう数少ない傑作作品なのである。

当の沖縄県は何かと理不尽な扱いを受け続けている歴史が現実に有る。
悲しい戦争の歴史も強烈に色濃く存在し、その爪痕は現在でも残存する。


だがこの「島唄」は、地球の裏側のブラジル共和国にても人気を博した真に国際的でグローバルな名曲だ。


宮沢和史さんが作詞した本曲の歌詞にも有る様に、この島唄が力強く沖縄の島を越えて大海原を渡り、人類に普遍:UNIVERSALのメッセージをこれからも投げ掛けて行く。
僕にはそんな気がしてならないのだ。
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